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豊橋空襲犠牲者を追悼し、平和を誓う集いには、 100名を超える参加者の方が集まられました。 豊橋市議会からは、日本共産党豊橋市議団の私斎藤啓、鈴木みさこ、中西みつえのほか、伊藤とくや市議、古池もも市議が参加されておりました。 豊川市議会からは、日本共産党豊川市 議団の安間ひろこ市議も参加をしておりました。 挨拶を依頼されておりましたので、私からは、追悼と、81年語り継いでることの意味、さらに憲法の下で徴兵制ができない仕組みのこと、そして自衛隊が憲法に書き込まればその縛りが解かれてしまうリスクがあることをお話しさせていただきました。
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私の、平和への思いの原点の一つは、沖縄の慶良間諸島の座間味島です。 世界有数の人気ダイビングスポットでもある座間味島は、1945年3月26日、太平洋戦争でもっとも最初に米軍が上陸した島です。 1991年の夏、私は大学生協の主催する「オキナワの旅」という企画で、米軍上陸のその場に居合わせ生き残った、島民の方のお話しを仲間といっしょに聴くという、稀有な機会を得ることができました。 参加したのは、島民の方と、愛知岐阜三重の三県の大学に通う大学生20人あまり、そして生協の職員さんだったと思います。 その日は、空は青く晴れ渡り、海と空がつながっているような、まさに沖縄らしい絶景の穏やかな日で、私たちはピクニック気分で山に登ってゆきました。 みんなで、山頂にある、展望台のベンチや、まわりの草原に腰掛けて、耳を傾ける中で、島民の方は、淡々と当時の様子を語ってくださいました。 その場はまさに、米軍の上陸作戦の直前に島民の皆さんが米艦隊を眺めていた場所だったのです。 「島民はみな、島に駐留していた日本兵に『米軍が上陸したら、男はみんな殺される。女子どもは凌辱される』と、聞かされ続けてきました。」 「その日、米軍がいよいよ上陸してくるらしい、と聞いた私たちは、この場所に登って来ました。展望台から観た海は、真っ黒な米艦船に埋め尽くされているように見えました。展望台に集まった島民は『これはもうだめだ』と囁いたりしていました」 「米軍が上陸して2日間、私たちは山の中をさまよって逃げ続けていました。どこに行っても米兵の姿が見え、どこにも逃げるところはありませんでした」 「最初に、わたしの隣りにいた近所のおじいが、叫びながら小学校あがる前の孫に、突然包丁を突き立てて、その生命を絶ちました。その後はもう…地獄のような光景でした…」「刃物のない人は、手で首をね締めるしかなくて…」 私は、このあとの詳しい描写は、覚えてません。 話聴いてるみんなも、ただただ、涙流すことしかできなくて。 お話しを聴いたあとは、みんな口数少なく、山を降りてゆきました。 美しい海と山、穏やかな気候、そして何より当時の経験を、感情をほとんど交えず、淡々と話すお父さん… 鮮烈なお話しとそのギャップに「戦争というものは」と、深く心に刻まれた経験なのでした。 座間味島やお隣の渡嘉敷島でのこの戦闘で生命を落とした島民は、日本兵の3倍、400人弱にのぼります。 座間味島はじめ、沖縄に駐留していた日本軍は、沖縄でどういうどういう役割を果たしたか。 すでにが語られているこのことを、ここでは語ることはいたしません。 けれども私は、軍隊というものが、決してその国の国民のことを守る存在では居続けないこと、そして戦争というものはどんな理由があっても、始めることそのものが重大な罪であることを、刻んでいます。 戦後生まれの私たちは、そして戦後生の政治家たちは、私たちの先人が歩んできた、日本の歴史を、ちゃんと学んでこれているでしょうか? そしてそれに、向き合い続けているでしょうか。 6月20日の豊橋空襲を「語り継ぐ」ことも、その大事な断片の一つとしてて、私は大切に引継ぎたいと考えているのです。
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🎆本日開催決定🎆 豊橋祇園祭(2026年7月17日)おでかけ直前チェック👀 本日、豊橋祇園祭が予定通り開催されることを主催者へ確認いたしました。 🚃会場へ向かう前、あるいは移動中の車内でパッと確認できる「本日の開催時間」「打ち上げ場所」「アクセス・最寄り駅」などの直前情報をまとめています。 ※今後の急な天候の変化等により、開催直前に中止・変更となる場合があります。おでかけの直前にも再度、公式の発表をご確認ください。 詳細はこちら👇 #夏休み# #豊橋祇園祭#
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