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Cloudy 「できるだけ感動の方へ」 💥今週発売 #タワレコメン💥# ライブシーンで躍動を続ける4人組ロックバンド、結成3年の今と進化をぶつけた初の全国流通盤となる2ndフルアルバムをリリース‼️ @cloudy_band
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【#Cloudy】# Cloudy 2nd Album「できるだけ感動の方へ」 リリース記念サイン会 終了後のお写真です📸✨ たくさんのお客様にお集まりいただきました!ありがとうございました👏🏻 「ああバンドやりたい!」ポスターや展開にサインやコメントなど書いていただきましたので、店頭ぜひチェックを〜😆✊🏻
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【#タワ渋訪店】# 『できるだけ感動の方へ』をリリースした #Cloudy# の皆さんがご訪店! イベントも終了いたしました🌟 ゲリラライブからサイン会まで お集まりいただいたみなさん ありがとうございました😉 3F展開にてサインやコメントカードを掲出中⚡️ 次はライブハウスでお会いしましょう!(Yz)
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◤New Release◢ Cloudy (@cloudy_band) 『できるだけ感動の方へ』 リリースをいいね♡でお祝いしよう♬ 4人組ロックバンド #Cloudy# が 2ndALリリース🎉 一味違うCloudyを味わえるバラード「自分勝手」等、珠玉の楽曲群を収録🔥 楽曲はこちら🎧 #できるだけ感動の方へ#
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#タワレコメン# 8月度ラインナップ3組決定‼️ Cloudy『できるだけ感動の方へ』 8/5発売 liquid people『Teach』 8/26発売 Nagakumo『NGKM』 8/26発売
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✨本日(7/4)🎫チケット一般発売 Cloudy 2nd Album 「できるだけ感動の方へ」release tour 8/15(土)📍千葉LOOK 8/16(日)📍F.A.D YOKOHAMA 9/6(日)📍宇都宮HELLO DOLLY #Cloudy#
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Cloudy、「感動」をロックの爆発力へ変えた大傑作『できるだけ感動の方へ』誕生──8Pロングインタビュー #ROCKINONJAPAN# #Cloudy#
【研究論文】現代SNSにおける「読書垢」の生態系とフェードアウトのメカニズム ――抽象・具体の認知ギャップと承認欲求の限界に関する考察 あなたのフォロー欄、かつて輝いていた「読書垢」の静かな墓場になっていませんか? なぜ読書垢は雨後の筍のように現れては、数ヶ月で「いいね履歴」すら残さず絶滅するのか?そこにある『抽象と具体の断絶』について考察してみた。 仮説1:雨後の筍のように現れ、絶滅していく読書垢 TLを見ていると、定期的に「おすすめ本教えて!」というポストが万バズし、それに呼応するように新しい読書アカウントが大量発生する。しかし、その多くは驚くほど寿命が短い。たまに気になってチェックしてみると、独自の投稿はおろか、他人のポストへの「いいね」の履歴すら途絶え、完全にフェードアウトしている。 「自分の周りに読書好きはいないのに、エックスにはこんなに溢れている」という言説をよく目にするが、あの賑わいの大半はどこへ消えてしまうのだろうか。 仮説2:読書とSNSの「致命的な相性の悪さ」 結論から言えば、フェードアウトする読書垢の多くは、読書そのものではなく「読書垢という記号」に惹きつけられた、一過性のバブラーである可能性が高い。そもそも、読書は時間とエネルギーを激しく消費する「孤独で地味な作業」だ。1冊を血肉化するのに数時間から数日を要する(高コスト)。一方で、SNSが求めるのは数時間おきの刺激と即時的な反応(高頻度)だ。この構造的なギャップがあるため、「映える本棚」や「話題のビジネス書」を一通り消費して承認欲求の燃料が切れた瞬間、アカウントを維持する動機そのものが消滅してしまう。 仮説3:三宅香帆氏ブームと「抽象と具体の断絶」 近年、文芸評論家の三宅香帆氏の読書本が爆売れしている。彼女の本がこれほど読まれるのは、現代人が「知的なアイデンティティ」を模索している証左でもある。しかし、このブームもおそらく長続きはしない。なぜなら、そこには強烈な「抽象と具体の断絶」があるからだ。 三宅氏が提示するのは、情報を構造として捉え、歴史や社会の文脈と接続する「抽象思考の読書」である。しかし、ブームに乗って参入した日本の読書家(を志す層)の大半は、「次に読むべき具体的なおすすめ本」や「手っ取り早いノウハウ」という、極めて具体的なレベルでしか本を消費できない。この断絶がある限り、どれほど高尚な読書論が流行しようとも、それは一過性のファッションとして消費され、流行が過ぎればまた静かに忘れ去られてしていく。 考察:読書コミュニティを巡る「3つの階層」 この抽象と具体の断絶、そして他者との距離感を整理すると、現在のSNS上の読書空間は以下の3つの階層に分かれていることが見えてくる。 ① ガチの読書好き(生存者:抽象思考タイプ) 「ミステリ」「海外文学」といった少し広めのカテゴリーの幅で物事を捉え、個別の本を超えた構造や文脈を面白がれる層。抽象思考ができるため、自身と100%趣味が合致しなくても他者と「対話」が可能。結果として読書を一生物の趣味にでき、SNSでも生き残る。 ② 読書垢バブラー(一過性:具体思考タイプ) 知的な記号を消費するが、本質的な抽象思考には馴染めない層。「おすすめ教えて」「これ読んで感動した」という具体的すぎるレベルでしか語れないため、ネタが尽きると承認欲求の枯渇とともにフェードアウトする。 ③ 孤高のライト読者(持続:マイスペースタイプ) 思考のベースは具体(「この作家だけ読む」など)だが、そこに承認欲求が絡まない層。SNSでバズる気もなければ、ガチ勢と議論する気もない。自分の手の届く範囲だけで、ひっそりと、しかし確実に読書を楽しんでいる。 面白いのは、①のガチ勢は②のバブラーたちがどれほどTLで騒ごうとも、最初から交わることなく静かに距離を置いている、という点だ。 示唆:それぞれの読書のあり方 誤解してほしくないのは、この三層構造のどこに属しているかに「良し悪し」や「優劣」は一切ない、ということだ。カテゴリーの幅で語り合える人だけが読書を一生ものにできるのは事実かもしれないが、そうでない人も、自身の範囲内で豊かに読書を楽しめればそれで何の問題もない。 ただ、こうして言葉にしてみると、日頃からこのアカウントで仲良くしてくださるフォロワーの皆様の存在が、いかに貴重であるかがよくわかる。 私の独善的なポストに反応をくれたり、本を通じたゆるい繋がりを維持してくれたりする皆様との交流は、まさにSNSにおける私の「承認欲求」を最も健康的で、心地よい形で満たしてくれている。 絶滅していく多くの読書垢を横目に、こうして言葉を交わせる関係が存在すること自体が、この騒がしいタイムラインにおける一つの奇跡のようなものかもしれない。 さて、あなたのTLで今も生き残っているのは、どの階層の人?
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折り返しにきたので 少しいまの気持ちを…。 お手紙や あたたかいお気持ちをいただく中で 10年前、4年前の私の公演をきっかけに 今もロック座に通い続けてくださっている方がいることを知りました。 その事実が ただただ嬉しくて 胸がいっぱいになります🥰♡ 私の存在が 少しでもロック座を知るきっかけになっていて 自分なりに この場所でやるべきこと 果たすべき役割を少しは担えてきたのかなと感じています。 周りの仲間たちも イメージと全然違った感動した と言ってくれて 何度も足を運んでくれていたりして…。 自分のやるべきことは ちゃんとできている気がする反面 終わりが少しずつ見えてきて 正直、少し怖い気持ちもあります。 私はロック座に3回しか出演していません。 5年に1回くらいのペースで 他の踊り子さんのように踊れるわけでもありません。 それでも 自分がロック座でやるべきことは何なのか ちゃんと理解した上で 最後までまっとうしていきたいと思っています。 10年経っても 変わらず会いに来てくださる方がいて 昔お世話になった業界の方々や関係者の方が 今でもこうして顔を出してくださること。 それがどれだけありがたいことなのか この舞台に立つたび 強く実感しています。 振り返れば 10年は長いはずなのに 本当にあっという間で 気づけばまたこの場所に立っていました。 正直 私は踊りにすごく自信があるわけじゃありません。 それでも今回この舞台に立とうと思ったのは 今の私にできることは何だろうって考えた時に 上原亜衣という名前を使って ロック座を知ってもらうきっかけを作ることだと思ったからです。 日本の方にも 海外の方にも 少しでも興味を持ってもらえる入口になれたら嬉しい。 そして今回を節目に これから先 紙面でもリアルでも 裸体を武器にすることはもうありません。 だからこそ この期間は 今の私として立つひとつの区切りのステージです。 ロック座の舞台って 言葉がなくても感情が伝わる場所で その空気や熱は その場に来ないと絶対に体感できません。 節目に立つこのステージは 毎日いろんな感情が入り混じるけれど その全部を踊りにぶつけられること以上の表現は 今の私にはないと思っています。 表現することが やっぱり好きです。 そして今回の公演は 色んな想いが重なっていることはもちろん 踊り子さんたちのクオリティーの高さ 公演の演出や作品内容も含めて 今までで一番 自信を持って届けられる公演になっています。 過去も今も全部背負ったまま 今の私として立つ最後のロック座。 来てくれたら きっと何かが伝わる舞台になっていると思います。 28日まで毎日いるので待ってます⭐️
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『パペットスンスン』をガチ批評します。 『パペットスンスン』はただの癒やし作品ではありません。これは、不器用な存在たちの生活を愛する作品です。 スンスンを批評する人間は、おそらく誰もいない。 だからこそ、ガチで語ります。 長文です。読みづらい方は動画でどうぞ。 正直に言います。 『パペットスンスン』は、何が面白いのか説明しづらい作品である。 大冒険があるわけではない。 泣かせにくる大きなストーリーがあるわけでもない。 敵と戦うわけでもない。 あらすじだけ聞いたら「で、何が面白いの」となる人もいるはずである。 しかし、気づいたら見てしまう。 気づいたら好きになっている。 そして気づいたら、 スンスンの何気ない一言や動きが、妙に頭に残っている。 この現象は、かなり不思議である。 『パペットスンスン』は、 パペットの国「トゥーホック」に住む6才の男の子・スンスンが、親友のノンノンや、おじいちゃんのゾンゾンたちと送る、何気ない日常を描いた作品である。 SNSで広がり、2025年にはフジテレビ系『めざましテレビ』内でショートムービーとしての放送も始まった。 しかし私は、 この作品を単なる癒やし系キャラクターコンテンツだとは思っていない。 『パペットスンスン』は、 現代人の不器用さを、かなり優しく描いている作品である。 スンスンは、すごく不器用である。 ちょっとズレている。会話が噛み合わないこともある。 考えすぎる。変なところで悩む。 それでも本人はいたって真面目。 ここが面白い。 普通のキャラクター作品は、 キャラクターの魅力を分かりやすく大きく見せる。 すごく優しい。すごく面白い。すごく強い。 しかしスンスンは違う。 特別ではない。 むしろ、どこにでもいそうな不器用な存在である。 だから見ていて安心する。 そして、少しだけ胸が痛くなる。 例えばスンスンたちの会話。 ものすごく大きな事件が起きるわけではない。 糸でんわで遊ぶ。ありがとうを伝えようとする。 秘密基地にいる。キャベツ畑にいる。 そういう、本当に小さな出来事ばかりである。 しかし、その小ささがいい。 現実の人間関係も、実はそういうものの積み重ねだからである。 言葉にできない違和感。ちょっとした気まずさ。 妙な間。変な勘違い。 相手を傷つけたいわけではないのに、うまく伝わらない感じ。 『パペットスンスン』には、そういう日常の空気がある。 そして私は、 この作品最大の魅力は「誰も悪くない」ところだと思っている。 最近の作品には、敵がいる。悪役がいる。対立がある。 しかしスンスンの世界には、基本的にそれがない。 誰かが強い悪意を持っているわけではない。 ただ少し不器用な存在たちが、 少しずつ噛み合ったり、噛み合わなかったりしている。 しかし現実は、本当はこちらの方が多い。 人間関係が苦しくなるときは、 必ずしも悪人がいるからではない。 お互い悪くないのに、うまく言葉が届かない。 相手の気持ちが分からない。 自分の気持ちもうまく説明できない。 そういうズレが積み重なって、少しだけ寂しくなる。 『パペットスンスン』は、その寂しさを責めない作品である。 そこが本当に優しい。 ただし、優しいだけではない。 この作品を見ていると、 「人と一緒に生きるって難しいな」と思う。 しかし同時に、 「それでも誰かと関わるのって悪くないな」とも思う。 ここが『パペットスンスン』のすごいところである。 もちろん弱点もある。 正直、人を選ぶ作品である。 ドラマチックな展開を求める人、 分かりやすい笑いを求める人、 物語の起伏を求める人には、かなり退屈に見えるはずである。何も起きないと感じる人もいる。 しかし逆に言えば、 この作品を好きになる人は、 日常の小さな感情を大事にする人である。 大きな感動ではなく、小さな違和感や、ちょっとした優しさに反応できる人。 そういう人に、この作品は深く刺さる。 だから私は『パペットスンスン』を、 ただの癒やし作品だとは思っていない。 これは、不器用な存在たちの生活を愛する作品である。 派手ではない。大きな感動もない。 それでも気づけば、ずっと見てしまう。 それはきっと、 スンスンの中に少しだけ自分を見ているからである。 私たちはスンスンを見ているようで、本当は、 自分自身の不器用さや、言葉にできない寂しさを見ているのかもしれない。 あなたは『パペットスンスン』のどこが好きですか。 コメントで教えてください。
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