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日が暮れかけた頃、地元の電車を待っていたら、隣の列にマッチが並んでいて、少し後から一般人を装っているけど、スターのオーラ丸出しの人が来て並んだ。 おれの後輩がきて、一緒に電車に乗ったが、後輩は隣の列の人たちのことは気づいていない。 そいつが降りる時に、隣、気づいた?あの後ろにいるのはたぶんキムタクだよと教えてやったら驚いていた。 近くにはマッチの家があるのではないかというウワサがあった。 住宅街の中、路地から赤いバイクが見えるのがその家だという噂だ。 その家に行ってみたら、赤いバイクはなくて、代わりにホラーじゃないかと思うほどに恐ろしい顔をした機関車トーマスがいた。 やはりマッチとキムタクがいて、声をかけたらチッという顔をされた。 二人が一緒にいる時は何かのトレーニングをしているらしいと言われていた。 二人は出かけていって、寂れた汚い陸橋の下から洞窟のようなところに入っていった。 ここは地元の人たちも怪しいとあまり寄り付かないところだ。 入っていくと中には誰もいなかったが、人が集うような設備があった。 二人はさらに奥まで進んでいくが、僕は見失ってしまった。 ドアを開けると地上で、なぜか都心の広い道路に出た。 道路を渡った向こう側、何もない壁のようなところが開いて、二人が入っていくのが見えた。 見つけた!秘密のトレーニング場所だ! というところで目が覚めた。 いつの間にか寝落ちしておりました。 この夢見るの2回目なんだよな。 なんなん?
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駅前でなんや分からん政党の支援者の人たちが演説してたんだけど、大学生っぽい子がいるところで大学の学費値上げ中止を論じててちょっと笑いそうになった ていうかおじいとおばあしかいなかったけど、お前ら暇やな、働けやという感情が先行してしまう
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なんでもすぐエッセイにしようと思うので、初めて舞台を見た感想漫画を描いて投稿しようとしたところで招待だからPRなのではと気付き表記しました。そうすることで初見のただの感想も歪むような感覚になるけれど、これも好きを仕事にしてしまった報いなんだと思う。
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これはネタバレでもなんでもないのですが、藤林弘之さんのお名前をこんなところでお見かけするとは思いませんでした(パンフレットより)。まよデリ以来です(多分)。 #シネマダミス#
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ディズニーシーのアリエルのところで流れてる音楽と空間が日本で1番落ちつく場所かもしれない🐠なんでやろ🤔ここが多分とても好き。
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今度しばらくモンゴルに行くので、いろいろ予習している。以下、本書の感想。👉「あなたモンゴルでも行く?」。この一言から、給食調理の仕事をしていた著者の人生は大きく変わった。在モンゴル日本国大使館の公邸料理人となった著者が草原の食と暮らしを体当たりで綴ったエッセイが本書である。ぼくはこの本をひとつの文明論として読んだ。食は、その土地の自然と歴史のすべてが凝縮する場所だからだ。その土地の文化も思想も、食に表れるのである。 モンゴルの食文化には明快な体系がある。肉を中心とする赤い食べ物「オラーン・イデー」と、乳製品を中心とする白い食べ物「ツァガーン・イデー」の二分法だ。遊牧民は羊、山羊、牛、馬、ラクダの五畜を飼い、乳の出る夏は搾乳して乳製品を作り貯え、家畜が肥える秋に屠って冬は肉で越す。北里大学の有原圭三さんは東北畜産学会報の解説で、「モンゴルでは古くから食生活の中心に乳と肉が据えられてきた」と述べ、この二分法が今日でもモンゴル人の食生活の中心にあると報告している。季節のサイクルがそのまま食の体系になっている。夏は白、冬は赤。食卓に一年の時間が刻まれているのだ。 本書が鮮やかなのは、著者がこの食文化の合理性を、現地の人々との交流のなかで体感的に解き明かしていくところである。著者の友人はこう問うたという。草を食べた家畜の肉を食べているのに、なんでわざわざ野菜を食べるのか、と。面白い見方である。乾燥と寒冷のモンゴル高原では、人間が直接食べられる植物はほとんど育たない。しかし、家畜は人間が消化できない草を、肉と乳に変換してくれる。つまり、遊牧とは「人間が直接利用できない草原の膨大な資源を、家畜という装置を通して食に変える精緻なエネルギー変換システム」なのだ。 他方で、なぜ豚や鶏を飼わないのか。彼らは長距離の移動についてこられず、草ではなく人間と競合する穀物を必要とするからだ。五畜の構成すら、環境から合理的に導かれている。ぼくらが栄養学の常識と信じている「野菜を食べなさい」は、農耕地帯というローカルな環境の産物にすぎないのかもしれない。 ちなみに── 「カルピス」の名称は、牛乳に含まれる成分「カルシウム」と、仏教の経典に登場するサンスクリット語の「サルピス(熟酥・じゅくそ)」を掛け合わせて名付けられた。仏教における牛乳の精製過程「五味(ごみ)」の教えが深く関わっていて、かつてぼくも仏教書で同様の内容を読んだ。 創業者の三島海雲は僧侶でもあり、内モンゴルで出会った酸乳の美味しさと健康効果をヒントに飲み物を開発した際、この「五味」の考え方をヒントに取り入れ、4番目の段階である「熟酥(サルピス / sarpis)」をベースにし、当時流行していた「カルシウム」と組み合わせて「カルピス」と命名したのである。 さて、本題に戻ろう。 ここで、二項対立をひとつ立ててみたい。 モンゴルの食は野蛮か、合理か。 羊を屠るとき、遊牧民は胸を小さく切開し、手を入れて大動脈を握りつぶす。血を一滴も大地にこぼさないためだ。血は腸詰めにし、臓物も骨も余さず使いきる。都市に暮らすぼくらの目には衝撃的な光景かもしれない。だが、視点を変えれば、これほど命を丁寧に頂ききる食文化があるだろうか、とも思う。食品を毎日大量に廃棄しながら、屠畜の現場だけを残酷と呼ぶぼくらの感性のほうが、よほどねじれている。文化人類学者の小長谷有紀さんが繰り返し論じてきたように、モンゴルの乳加工は、乳の性質を経験的に知り尽くした精緻な知の体系だ。ヨーグルト、チーズ、乳酒、乳茶。冷蔵庫のない草原で乳を保存するために発酵と乾燥のあらゆる技術が磨かれてきた。野蛮どころか、そこには何百年もの科学がある。 著者は公邸料理人として日本の食材が乏しい環境で和食を作る工夫を重ねながら、同時にモンゴルの食の懐へ深く入っていく。マイナス30度の冬。人も家畜も、支え合わなければ生きられない世界。その厳しさこそが食への敬意を育てたのだと、読みながら何度も思った。安定的な食の環境がなかなかないからこそ、食への感謝は尽きないのだ。 ご関心のある方は、ぜひ本書を直に読んでみてほしい。 『まんぷくモンゴル!公邸料理人、大草原で肉を食う』鈴木裕子(産業編集センター)
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