登録して招待リンクを共有すると、動画再生報酬と紹介報酬を獲得できます。

検索結果 信仰自由
信仰自由 コミュニティ
1つのキーワードが1つのコミュニティです。
コミュニティ作成
アカウント
見つかりません
信仰自由 を含む検索結果
東京・新宿区大久保の狭い商店街を完全に塞いで集団礼拝し配達もできないし通行人も通れないという迷惑な動画が回ってきた。 信仰の自由以前に公共の場を占領する行為は迷惑なマナー違反行為だから取り締まるべき。
もっと見る
「悪口を言うときは、大きな声で!」とは某提督の名言だけども、やっぱり私は、大きな声で悪口を言うやつを信用しない。 ウガリト神話を検索していたら、思いがけないページに飛んだ。それは聖書を経典とする、ある新興宗教のHPだった。 いわく、『この神々を崇拝することは下劣な結果を招く』 『ウガリトには聖書のような倫理的・道徳的な高みがない』 カッチーン💢 「なんやと、コラぁ…」って私の中の石倉三郎が顔を出しそう。 気に入らないのは仕方がない。それはその人の自由。 でも、書き方が良くない。 人が大事にしているものを絶対的な誤りと決めつけて、いかにも学術的に自分が正しいように語っていたから。 事前知識がない人は本当だと信じてしまうんだから、卑怯なやり口だ。フェアじゃない。 …と、イライラしたとき、私は必ず心配になる。 「自分は大丈夫か?」と。 例えば私にも、大きな声で悪口を言ってもいいと思う話題がある。 児童婚や女子割礼。 野蛮で冷酷な習慣だと思っているし、今すぐなくなれと思っている。 じゃあ あの新興宗教と私、何が違うか? “他人が大事にしているもの/文化/習慣を否定している”という点では、同じに見える。 しかし一方で、全く違うとも私は言いたい。 その違いは、「自由かどうか」。 ウガリトの神々を邪悪と呼ぶのは、信仰の自由を踏みにじる➡️NG 児童婚への批判は、子どもや女性の選択の自由を守るため➡️OK よかった!やっぱり私は正しい!何も間違ってない! …と思ったけど、 では彼らがなぜ嬉々としてあんな侮辱的な解説(ウガリト神話は下劣うんぬん)を書くのか。 彼らの正義に思いを馳せてみる🧐 たぶん彼らも、彼らなりに、人々を守っているつもりなんだろう。 私が児童婚や女子割礼で苦しむ子を助けたいと思うのと同じように、唯一の正しい信仰を伝えることが、彼らにとっての人助けだから。 それはもちろん聖書の問題じゃなくて、ある仏教の宗派の人にそう断言されたこともある。 その人は社会的には「良い人」で、歓喜天を信仰する私を”邪悪な道から救おう”と必死だった。 少女漫画みたいに目をキラキラさせながら 「大丈夫!いつかあなたもその魔道から目が覚める時がきっと来る✨」 なんて言っていた。 何が魔道じゃ💢カッチーン💢 つまりは、 大きな声で悪口を言うとき、人は大体、悪口を言っているつもりはない。 良かれと思い、何かを守っているつもりでいるのかも。 なら、せめて私は、反対意見にカチンときたときは、相手が何を守っているつもりなのかを、一度考えようと思う。 自分がいつの間にか、嬉々として悪口を言う側に回っていないか、確かめるために。 …で、例の新興宗教のHPをもう一度よく読んだけど、ほんとカチンとくるわ💢💢💢
もっと見る
「信教の自由を守れ!」と叫ぶ自称愛国保守に聞きたい 「日本が大好きだ!」 「日本に生まれてよかった!」 「日本の伝統を守れ!」 「外国勢力の浸透を許すな!」 普段からそう叫んでいる自称保守アカウントがいる。 ところが統一教会の話になると、急に態度が変わる。 「信教の自由を守れ!」 「解散命令は危険だ!」 「宗教弾圧だ!」 と言い出す。 私はこれが理解できない。 なぜなら統一教会問題の本質は、 単なる宗教問題ではないからだ。 統一教会は長年、 韓国を「アダム国家」、 日本を「エバ国家」 と位置付けてきたと指摘されている。 平たく言えば、 韓国が中心で、 日本は奉仕する側という発想だ。 さらに日本人には贖罪が必要だという考え方も語られてきた。 もし中国系団体が 「中国が主人、日本は従う側」 と言っていたらどうなるか。 自称保守は発狂するだろう。 だが統一教会になると急に寛容になる。 しかも結果として何が起きたか。 巨額献金の中心は日本だった。 家庭崩壊の中心も日本だった。 被害者の中心も日本だった。 つまり日本人が犠牲になっている。 にもかかわらず、 「信教の自由を守れ」 という。 守るべきはまず日本人ではないのか。 さらに理解できないのは、 外国勢力の浸透を問題視している人たちである。 中国の土地買収には激怒する。 外国人参政権には激怒する。 帰化歴の非公開にも激怒する。 ところが、 日本を韓国に奉仕すべき存在とみなす思想を持つと批判され、 政治家との深い関係が問題視されてきた統一教会には妙に甘い。 なぜだろう。 同じ基準で判断しているようには見えない。 そして解散命令についても誤解がある。 解散命令が出ても信仰は禁止されない。 信者が祈る自由も残る。 宗教活動そのものが直ちに違法になるわけでもない。 問題になっているのは宗教法人としての地位や財産管理である。 つまり、 「信教の自由を守れ」 と言っている人たちの主張をよく見ると、 実際には 「教団組織と教団財産を守れ」 になっていることが少なくない。 本当に日本が好きなら、 本当に愛国を語るなら、 本当に外国勢力の浸透を警戒するなら、 まず問うべきは 「この団体は日本人に何をしてきたのか」 である。 それを問わず、 日本人の被害には目をつぶり、 日本を従属的に扱う思想にも目をつぶり、 政治との関係にも目をつぶり、 ひたすら 「信教の自由!」 だけを叫ぶ。 それは愛国ではない。 保守でもない。 自由の擁護でもない。 ただのダブルスタンダードである。 中国なら怒る。 北朝鮮なら怒る。 ロシアなら怒る。 だが統一教会なら擁護する。 そんなものは安全保障でも保守思想でもない。 「自分の応援している陣営に都合が悪い問題だけ見なかったことにする党派性」でしかない。 そして本当に危険なのは統一教会だけではない。 その矛盾に気付かず、自分は愛国者だと思い込んでいる人たちの思考停止こそが、日本の安全保障を内側から蝕む最大の弱点なのである。
もっと見る
【作品情報】 『#詩人iidabii# ある宗教2世の記録』 これは、信仰と家族、言葉そして自由をめぐる3年間の物語 ■8/7(金) 10:15 ※明日8/7最終日※ @iidabii_film
もっと見る
ある町外れの小さな食品工場で、人手不足が深刻で、イスラム教徒の外国人を雇用するプロジェクトが始まった。人間はすぐに外国人問題と呼ぶ。だが、まだ会ったこともない相手を先に問題にしてしまうことのほうが、よほど問題である。取材の日、会議室には顔を布で覆った外国人女性が数名座っていた。見えているのは瞳だけである。その中の一人、サミラという女性が、驚くほど流暢な日本語で話し始めた。 「私たちは、日本に助けてもらうためだけに来たのではありません。この業界は人が足りないと聞きました。私たちも働いて、力になりたいです」 その言葉に、工場長は何度もうなずいた。 続けて彼女は、少しだけ緊張した声で言った。 「ただ、食事には宗教上、食べられないものがあります。そこだけは配慮していただきたいです」 同席していた担当者が、安心させようとして明るく答えた。 「もちろんです。 お弁当の持ち込みもできます。 アレルギー対応と同じように考えていますから」 すると、サミラの瞳が揺れた。 「……それは、違います」 会議室の空気が止まった。 「アレルギーと宗教は、まったく別のものです。 一緒にしないでほしいです。 少し、悲しいです」 誰も言葉を返せなかった。 あたしも机の下で尻尾を止めた。担当者には悪意などなかった。むしろ親切にしたつもりだったのだ。 だがサミラは、怒っているのではなかった。見えている瞳の端に、うっすら涙が浮かんでいた。 やがて彼女は、言葉を選ぶように続けた。 「アレルギーは、食べると身体が傷つくものです。 宗教は、食べないことで自分の心と信仰を守るものです。 どちらも大切です。 でも、同じではありません」 担当者はしばらく黙った後、深く頭を下げた。 「申し訳ありません。 私は配慮するつもりで、あなたの大切なものを対応すべき不都合としてまとめてしまいました」 サミラは小さく首を振った。 「謝ってほしいのではありません。 知ってほしかっただけです」 その日の取材は、少し重たい空気を残して終わった。 しかし、一週間後、工場の食堂が変わった。 料理にはすべて原材料が表示され、調理器具も用途ごとに分けられた。 弁当の持ち込みは誰でも自由になり、静かに食事をしたい人のための小さな休憩室も用意された。 壁には工場長の手書きの紙が貼られていた。 〈違いを同じにするのではなく、違ったまま一緒に働ける場所をつくる〉 サミラたちは、そこで働き始めた。 彼女は仕事が丁寧で、包装の小さな印字ミスにも誰より早く気づいた。 新人の外国人が作業に戸惑えば日本語と母国語の両方で説明し、繁忙期には日本人従業員より先に作業場へ入った。 ある日、長年勤めている田中さんが笑って言った。 「サミラさん、本当にこの工場の力になってくれたね」 サミラも笑った。 「最初の日に、そう言いました」 昼休みになると、彼女たちは持参した香辛料の香るご飯を広げた。田中さんは梅干しのおにぎりを取り出し、少し迷ってから尋ねた。 「これは、食べられる?」 サミラは原材料表示を一緒に確かめてから、うなずいた。 「はい。食べられます」 田中さんは、おにぎりを一つ差し出した。 サミラは自分の弁当から、小さなデーツを一粒返した。 同じものを食べたわけではない。 信じるものも、育った国も違う。 それでも二人は、同じ食卓で笑っていた。 その光景を眺めながら、吾輩は思った。 人間は「みんな同じ」と言えば、仲良くなれると思いがちである。だが本当の優しさとは、違いを消すことではない。 相手が大切にしているものを、自分の知っている箱へ無理に押し込まず、その名前のまま受け止めることなのだ。 あの日、サミラが「悲しい」と言わなければ、この食堂は生まれなかった。 そして担当者が言い訳をせずに頭を下げなければ、この食卓も生まれなかっただろう。 理解とは、最初から間違えないことではない。 間違えたあと、相手の言葉を聞いて、自分の心の置き場所を少し変えることである。 宗教は持たぬが、食べ物の違いにはうるさい。 しかし、その日の食堂に漂っていた香りだけは、どこの国のものでもなかった。 あれはきっと、人間が互いを知ろうとしたときにだけ生まれる、希望の匂いであった。 🚨上記は、組織や個人を特定されないように、名前も内容も場所も大幅に変えてます🚨
もっと見る
💔 伝統に抗う愛:『乙嫁語り』タラスとスミス氏の物語 森薫先生の傑作『乙嫁語り』において、タラスの物語は読者の心を深く揺さぶります。 未亡人となった彼女は、亡き夫の親族との結婚を強要されるという、過酷な古い慣習に囚われていました。 しかし、イギリス人旅行者ヘンリー・スミスとの出会いがすべてを変えます。二人の間に芽生えた感情は、単なるロマンスではありません。それは命を懸けた、社会の掟への挑戦でした。 このエピソードがこれほどまでに重厚な理由: 🔸文化の衝突: 19世紀の中央アジアにおいて、地元の未亡人と異教徒の外国人との恋愛は想像を絶するものでした。 🔸宗教的障壁: イスラム教徒ではない者との結婚は、共同体の法を破る絶対的なタブーでした。 🔸「背教」の脅威: 当時の現実において、自らの心に従うことは信仰を捨てること(背教)と等しく、文化によっては死罪にすらなり得る重罪でした。 森薫先生は、単に美しい時代風景を描くだけではなく、女性の権利の剥奪、宗教的な重圧、そして自由と愛のために世界を敵に回す途方もない勇気という、極めて重いテーマを見事に描き出しています。 #Otoyomegatari# #乙嫁語り# #倫理# #女性の権利と自由#
もっと見る
信仰や倫理観からの行為をワガママと言うなら、その他全ての行為はさらにワガママ。
信仰可以有 但不要格局太大
信仰を取り戻す為の一環として住んでる神社の空き部屋と庭を放課後の遊び場として開放しているのじゃ狐様