登録して招待リンクを共有すると、動画再生報酬と紹介報酬を獲得できます。

検索結果 山陰
山陰 コミュニティ
1つのキーワードが1つのコミュニティです。
コミュニティ作成
アカウント
見つかりません
山陰 を含む検索結果
朝来市で規制値超えの大雨 JR山陰線福知山-和田山間で運転見合わせ JR西日本は、大雨のため8日午後7時から山陰線福知山-和田山間で運転を見合わせている。梁瀬駅(兵庫県朝来市山東町)に設置する雨量計が規制値に達したという。
もっと見る
(土) 8:30~9:00 OA📻 ※FM山陰(土)8:00~、広島FM(日)6:30~ / #maniwacゴルフチャンネル# から 毎週 #プレゼント# 実施中🎁 \ ⛳ 7/18(7/19)放送回プレゼント🏌🏽 【URAG IFMC’S 3ピースゴルフボール:1ダース】3⃣名 ※イフミック加工は施されておりません。 ※非公認球です。 番組への感想・メッセージを添えて✉ 応募はコチラ🔽 📻聴き逃した方は#radiko# で♪
もっと見る
エリア51至近で大規模な山火事が発生! 落雷か、「指向性エネルギー兵器(DEW)」の暴走か!? 渦巻く陰謀論 #エリア51# #陰謀論# #山火事#  アメリカ・ネバダ州、世界最高機密の軍事施設として知られるエリア51至近で今、大規模な山火事が燃...
もっと見る
「てっぺんの向こうにあなたがいる」 女性として世界初のエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんの、成功の陰に隠された軋轢や葛藤などを描いた物語であり、がんに侵されながらも山を愛し、それを支えた家族の物語でもある。リピート山中さんの歌は田部井さんの遺言に思える
もっと見る
「トンデモ憎んで人を憎まず」って意外と通用してないですよね。私の場合は大学院生時代に研究の論旨ではなく「あいつサンスクリットちゃんと読めてないだろ」みたいな個人の能力(特に語学力)に対する罵倒とか陰口を言う人を山ほど見てきたので、それが良い反面教師になってます。ありがとう。
もっと見る
【5月19日、RED7月号(紙版、電子版)発売】 勝千代のいる山城に戦をしかける山の民。その様を見る山の民のマンジとサンジ。 一方、刺客に襲われた勝千代だったが、刺客を撃退したのは二木!? 己を狙う陰謀を撥ね除けるため、勝千代が出した策とは……?? #冬嵐記 ##冬嵐記コミカライズ#
もっと見る
夢を見づらい世の中になったな、と思う事が少なくない。 挑戦を笑う社会、出る杭は打つ風潮、かつては陰に隠れていた後ろ向きな感情が、SNSの台頭でいつのまにかマジョリティになった。 自虐や冷笑がトップコンテンツになり、ネガティブがインプを集め、常に誰かに拳銃を向けられながら過ごしている気持ちになる日もある。 夢を見る、の代名詞でもあった若者だけど、 今はそんな世の中の空気に少子化も重なり、若者の街と呼ばれる様な場所はなくなり、 ニュースといえば暗いものがトップに踊る。 そりゃあ夢を見るのも難しいよなぁと思う。 もちろん、夢は時に呪いになる。無謀さが首を絞める事がある。 だけど、宇宙に行こうとした人や、空を飛ぼうと思った兄弟、電気を発明しようとした人、そもそも海から陸に出てみようなんて無謀な挑戦を果たした先人がいなければ僕たちなんて存在しない。 夢を追って傷つくのは怖いと思う。それでも夢は、人々の未来を照らす。どうせ短くない時間生きるんだから、少しでも楽しい方がいいよ。遊び残しが無い方がいい。 全ての10代と、かつて10代だった全ての人たちへ。 こんな時代だからこそ、世界で一番自由で大きな夢を見よう! 夢には、見方があると思う。教えてくれる人がいないだけだ。 でっかい山に登る時に登山靴やコンパスが必要な様に、俺から彼等に教えられる物ならいっぱい…それなりには、ある。今までの成功と失敗からもう一回本気で夢を見にいく。 そう、あなたの夢を叶える事が今の俺の夢だ。 THE LAST PIECE、始まります! #ラスピ#
もっと見る
編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
もっと見る