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恥ずかしながら私 コミュニティ
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恥ずかしながら学生時代は今何語?ってくらいの違いさえも気づかなかったんじゃないかなぁと思う😵‍💫そんなとこからのスタートの私もどんどんわかるようになってるから、今言語勉強している方はきっと私より断然すごいです🔥一緒に頑張りましょうね!
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久々にこれ観て恥ずかしながら号泣してしまいました。 私の青春です。
今夜6/15「街角トーク」は阿佐ヶ谷南口で! 杉並区議補選もあるので北口も南口も 先約の候補たちが占めているため 30分遅らせてスタート! 「私は能楽師の家に生まれた。女性の能楽師って選択肢もあったがそうはならなかった。能楽師だった父自身他にやりたい仕事があったから私の自由を優先させてくれた。」 →杉並区には能楽師さんたちが住んでる!知らなかった! れいわ新撰組の海保とくまさんと 高円寺在住の大道芸人、バーバラ村田さんのお二人が来てくれました! 海保とくまさんの選挙に負けたあとに、応援してくれた人の一言で耐えてきた想いが溢れた話。 ご苦労されて息子さんを育ててきたお母さまの話。 れいわ新選組に対する深くて決して尽きることのない想い。 人が人を想う時に生まれるパワーに心打たれました。 バーバラ村田さん 芸人でありながら自分でフェスを作ってゲストをブッキングする大変さはもう身につまされます。 「コロナで減ってしまったフェスのボランティアの方がまた最近戻ってきた!」 →いいぞ!ここからだ!理解してくれる人たちがいる限り、フェスも大道芸も負けない。。!危機感と勇気と希望の話。 先日ずっと見ていて恥ずかしがっていた少年が自分でやってきてくれてマイクを 持ってくれた 「好きなこと。蚕を育てること。 発見したこと。蚕は糸だけじゃない。足からも粘り気が出て、葉っぱをつかむんだ。」 →知らなかった。さすが蚕博士! 「なんで蚕は白いの?教えてよ!」 通行中の大人の人たち、なんで白いの? 今日はたくさん深い話をお聞きしました。立ち止まってしまう話も。 でも聞けてよかった。 本当に色々な想い、事情、人生がある。。 そんな色々の声が聞ける杉並区 色んな声を大事にする街にもっとなってほしい。 皆さんありがとうございました! 杉並区の色々な人の声を聞いています。 6/20には総集編スペシャルとして 「対話フェス2026」を阿佐ヶ谷南口広場で開催します! 朝10時から夜7時まで! 土曜日空けといてください! 対話の杉並区、今の杉並区を応援しています! 明日6/16も阿佐ヶ谷南口で18時から! あなたの声を聞かせてください!
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一つ前の続き… 最後は、我慢できずにホンモノに跨り騎乗位しながら、何度も私の名前を呼びながらイキ狂ってしまいました。 良く聞くと、ハメ潮吹いてる音も聞こえてるので、恥ずかしい人妻さんの姿を想像しながら聞いてあげて下さい。 ※恥ずかしい声を聞かれ興奮する女性です。 #NTR# #寝取られ# #人妻#
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編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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