ユドコウスキー&ソアレス『超知能AIをつくれば人類は絶滅する』をもとに、安野貴博×駒村圭吾×長谷敏司が鼎談するイベント「AIと人類と文学の未来」へ行ってきた。
作家兼政治家、憲法学者、作家という異色の組み合わせ。
ひとりの作家志望としても、ちょうどAIをテーマにしたSFを書いている身としても、どんな話が聞けるのだろうと、楽しみに神保町の日本出版クラブへ降り立った。
議論は、著作の内容からさらに一歩先へ進んでいく。
とりわけ印象的だったのは、「これからの社会にAIが前向きに参画するためには、どのような環境を整えるべきなのか」という問いだった。
飛躍的な進歩を重ね、自律的に判断しているようにも見えるAIと、人間はどのような関係を結ぶのか。
そして、人間と共存することに、AI自身が価値を見いだせる仕組みをどうつくるのか。
そこで語られた主張のひとつが、「AIの身体権を保障する」というものだった。
AIエージェントが自ら確保できなくなったエネルギーを、人間社会が福祉として供給する。人間にとっての生存権や社会保障にあたる仕組みを、AIにも構想するというのである。
トマス・ホッブズやジョン・ロック、ルソーらの社会契約論と、それを現代に引き直したジョン・ロールズの『正義論』が、自然と思い起こされる。
国家や社会は、構成員に何を求めるのか。その代わりに、何を保障するのか。
AIという新しい存在と手を取り合い、ひとつの文化圏を築くことになるのだとすれば、そこにもまた、新たな社会契約が必要になるのかもしれない。
AIの誕生によって、わたしたちは未来の知性について考えているようでいて、逆説的に、社会生活とは何か、国家とは何か、人間がともに生きるとは何かという、古く根本的な問いへと連れ戻されている。
自分が人間として生まれるのか、AIとして起動するのかを知らないまま、わたしたちは公正な社会のあり方を選べるだろうか。
その問いの先で、顔を持たないAIとのあいだに垂らされるのは、無知のヴェールなのか。
それとも、AIという存在そのものを見えなくする、透明なヴェールなのか。
AIについて考えることは、結局、人間社会そのものを問い直すことなのだ。
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AIと人類と文学の未来#