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木村稜 / Ryo Kimura
@AbGrund_1203
東京大学大学院総合文化研究科D2 / 日本学術振興会特別研究員(DC1)/ 哲学 / デリダ
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大岡は、レイテ島で散った日本軍兵士一人ひとりについて詳しく調べていくうちに、「一番ひどい目に会ったのは、フィリピン人ではないか」という洞察にたどり着く。「大岡は、まさしく、自分がその一員であってよかった「死んだ兵士たち」への哀悼からはじめることで、それがそのままフィリピンの死者への謝罪へとつながる、そういう道でもあることを、ここに、証しだてている」(『敗戦後論』)。この「それがそのまま」をどう読むか、という問題。加藤が言わんとしているのはおそらく、“まず”自国の主体性を回復して、“つぎに”他国の死者に向き合う、という二段階方式ではない。むしろ、我々が直接的にアクセスできるのはさしあたり自国の死者のみなのだが、彼らへの「弔い」を徹底する──つまり、その汚れを汚れとして引き受け、無意味さを無意味さとして確認してゆく──過程のただなかにおいて、他国の死者に対する反省・謝罪がなされざるをえない。裏を返せば、他国の死者に対する謝罪へと至らないような自国の死者への弔いは、加藤の定義にしたがえば、その名に値する(徹底された)弔いではない。
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加藤典洋の件については、「自国の死者を弔うことではじめて、他国の他者を弔う準備ができる」という単純な「先後関係」の論理と、「自国の死者を“真に”弔い終えたとき、他国の死者をも弔った“ことになっている”」という「反転」(事後性)の論理とが混同されているところに問題があるのではないかと前々から思っている。加藤は本来的には、後者のごとき特異なしかたでの「内の他者」と「外の他者」の連絡可能性を言いたかったのだと思われるが、大岡昇平の体験という特殊な事例を挙げるのみで、その理路をうまく説明することができず、彼自身がしばしば分かりやすい「先後関係」型のロジックに訴えてしまった結果、高橋らのまっとうな(しかしポイントを外した)批判を招来することになった。加藤は「順序の問題ではない」と言いつつ一見順序を問題にしているようにしかみえないわけだが、彼が「言おうとして言えなかったこと」には個人的に関心がある。
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