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桑原旅人
@KuwaharaTabito
大学講師、哲学と精神分析、博士(学術、東京大学)、投資家、経営者。『汝の「欲望」に従って行為せよ──ジャック・ラカンの倫理学』(ナカニシヤ出版)  ご連絡はDM、またはメールからtabitokuwahara@gmail.com
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東京大学は2020年1月15日、Twitterで中国人に対する差別的な投稿を行ったとして、大学院情報学環の大澤昇平特任准教授を懲戒解雇処分にしました。 本田由紀氏に対しても、同様の「懲戒解雇処分」を行わないのであれば、整合性がとれません。東大は対応を迫られている。
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この内容に反響があるとはまったく予想していなかったが、みんな知識だけあってペラペラ喋る思考の薄い人間たちにイラだっているのかな。口頭でペラペラ喋り、マウントとってくる人間とは徹底的に関わらないのが懸命な判断。議論なんてしても消耗するだけ。
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読書それ自体が目的になると、研究上の必要性とは無関係に、そのとき面白いと思った本へ次々と移っていく。哲学から文学、歴史、思想史へと関心のまま横断し、読む範囲だけが際限なく拡散する。結果として知識は増えても、一つの問題を掘り下げる集中と蓄積が生まれにくい。
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少なくとも、人文系で読書好き研究者のなかに、優秀だと思える人間に出会ったことがない。問題設定がないまま際限なく本を読み続け、読書それ自体が目的化しがちだからだ。むしろ読書嫌いのほうが、まず何を読む必要があるのかを考える。つねにアウトプットが先にあり、そのために必要な文献だけを読む。この問題駆動型の人間でなければ、まともな研究成果はなかなか出せない。
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板書をノートに転記させる講義をする大学教員は、学生の学びを阻害している。複数の研究結果がそのことを示している。以下、AIを利用した調査のまとめ。 「教員が板書し、学生がそれをノートに写すこと自体を学習効果の中心に据える授業」は、現在の学習科学から見ると合理性が低いと判断します。 理由はかなり明確です。 「手で書けば学習効果が上がる」という強い根拠がない。 2022年の系統的レビュー・メタ分析では、手書きとデジタル筆記を統制条件で比較すると、学業成績に有意な差は認められませんでした。かつて有名だった「PCより手書きが優れる」という2014年研究も、事前登録された直接追試では再現されていません。重要なのは「書くこと」ではなく「頭の中で加工すること」。 要約する、概念同士を関連づける、自分の言葉に変換するといったgenerative note-takingには意味があります。しかし、板書をそのまま転記する verbatim copying はこれと逆です。2023年の大学生対象研究では、手書き条件で逐語的コピーが多いほど学習成績が低いという関連が出ています。 板書を写させると「理解」と「転記」がワーキングメモリを奪い合う。これは特に数学などで問題になります。学生は板書を書き写すことに追われ、教員が口頭で説明している「なぜそうなるか」を聞き逃す。大学数学の研究でも、学生自身が「書き写しながら考えるのは難しい」と報告し、板書外の口頭説明がほとんどノートに残らないことが確認されています。 「たくさん書いた=よく学んだ」でもない。ノートの語数そのものより、重要箇所を選択したり構造化したりすることの方が学習成果に関係します。つまり、見る → 写す → また見る → 写すという行為を90分繰り返すこと自体には、大きな教育的価値を期待できません。 授業時間を使うなら、もっと効果の高い活動がある。 STEMに限定されるという留保は必要ですが、225研究のメタ分析では、従来型講義よりactive learningの方が試験成績を平均約0.47標準偏差改善し、伝統的講義では不合格になる可能性も高くなりました。少なくとも「対面時間を何に使うか」という機会費用まで考えれば、単純な板書転記はかなり不利です。 ここで重要なのは、「板書そのものが悪い」のではないことです。たとえば数学の証明を一行ずつ展開する、哲学の議論の構造をその場で図式化する、学生の発言を拾いながら概念図を作る、といった板書には十分合理性があります。 問題は、 教員が情報を書く → 学生がそれを写す → 写したから学習したことになる という教育モデルです。 むしろ科学的に合理的なのは、 必要な資料は事前・事後に配布する → 学生は全部写さなくてよい → 授業では問い、説明、比較、推論に集中する → ノートは「転記」ではなく自分なりの要約・関係づけに使わせる という設計でしょう。2026年の最新研究でも、単なるノート取りではなく、深いノート取りの仕方を明示的に教えることが理解を改善すると報告されています。 したがって二択なら、私はかなり明確に、 「板書をノートに取らせること」を教育方法として積極的に正当化するのは、科学的には不合理。 と判定します。 ただし、これは**「ノートを取るな」ではなく「転記を学習だと思うな」**という結論です。ここを区別するのが一番重要です。」
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結局、板書させないと、聞いてもらえないほど講義がつまらないということなのだろう。板書への回帰の本質はそこにある。
AIで数秒で要約できる学部レベルの内容を、90分かけて板書し学生に書き写させる。これは教育というより、教員が「自分の話を黙って聞け」と強いているだけだ。そんな自己満足を大学教育と呼び続ける限り、文系学部不要論が強まるのは当然だ。
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たとえ専任教員になれたとしても、大学という業態自体が不安定化しているので、潜在的なリスクに変わりがないということが最大のポイントですね… リスクリワードが合わない世界になっている。アカデミアに残れたところで本当に旨味があるのかわからない。ならば、最初から関わらない方がよい。
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一般企業が女性しか取りませんみたいなことはないので、とにかく男性は大学院に進学しないことによって自衛するしかない。私がそうであるように、気づいた時には、道が塞がれていたという事態に陥るのが一番、悲惨です。とにかく院進は避けましょう。研究が人生に対して優越することはない。
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「将来の経営状況については、大学法人の回答「やや厳しい」「厳しい」を合わせると66.8%であり、将来不安が増加している。」 明日は今日よりも悪くなるかもしれないという業界にいるのはつらい。しかし、深く入り込むと特殊な業界すぎて、抜け出すのも難しい。
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