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河原梓水🪷『奇譚クラブ』の思い出を募集中
@azumikawahara2
単著『SMの思想史 戦後日本における支配と暴力をめぐる夢と欲望』青弓社2024㊗️重版 オンラインジャーナル『Antitled』運営 創刊80年記念『奇譚クラブ』の思い出を募集中 元SW
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以前も紹介した記事ですが、セックスワーカーの実態について、「1割、8割、1割」とでもいうべき見方が紹介されています。 ポジティブな層が1割、ネガティブな層が1割、その間にいる層が8割、というものです。つまり、1割ほどは、いわゆる「ハッピーワーカー」。セックスワークにかなりポジティブな意味を見出し、やりがいをもって働いている人たち。もう1割ほどは、搾取的な環境に置かれ、強制的に、あるいは相当に嫌々ながら働いている人たち。 残りの8割は、そのどちらでもない。可もなく不可もなく、お金を稼ぐ手段として淡々と働いている。別に仕事にやりがいを感じているわけではないけれど、だからといって誰かに強制されているわけでもない。そんな「ふつう」の層です。 これはヨーロッパについての話ですが、日本にもおおむね当てはまるように思います。少なくとも、私自身のこれまでの体感ともだいたい合います。 「セックスワーク・イズ・ワーク」という主張は、しばしば「この1割のハッピーワーカーだけを見ている」と誤解されていますが、そうではありません。 セックスワーカーには、非常にポジティブな人もいれば、非常にネガティブな状況に置かれている人もいる。その間に、大多数の「ふつうに働いている人」がいる。そうした実態の多様性を考慮してほしい、というのがセックスワーク・イズ・ワークの主張です。 なぜなら、廃絶派の議論では、この「1割」の強制・搾取されている人たちが、しばしば「全員」に拡張されるからです。 「好きでセックスワークをする人はいない。全員が被害者だ」と。本人は自分で選択したと思っているかもしれないけれど、それはそう思い込まされているだけなのだ、と。 セックスワーク・イズ・ワークの側がセックスワーカーの主体性を強調することがあるのは、こうしたラベリングが先に存在するからでもあります。 「いや、それはいくらなんでも言い過ぎではないか。全員を一律に被害者とみなすのではなく、多様な実態に即した政策が必要でしょう」と言っているわけです。 そして、これは現在議論されている売春防止法の見直し、とりわけ買春処罰(北欧モデル)を考えるうえでも重要だと思います。 本当に救済すべきなのは、強制や搾取のもとに置かれている1割の人たちです。ならば、その人たちをどう救済するのかを考えればいい。 ところが買春処罰は、そうした1割だけを対象にする政策ではありません。性的サービスを販売している人のうち、強制や搾取とは関係のない9割の人たちまで巻き込むことになります。 つまり、「被害者を救うため」という理由で、被害者とは限らない人たちの仕事まで一律に制限する政策になりかねない。 それならば、必要なのは、セックスワーカーを一律に被害者とみなして買春を処罰することではなく、強制・搾取・暴力の被害にある人がそこから離れられる支援を用意すると同時に、そうでない人たちについても、安全に働ける環境を整えることではないでしょうか。 労働環境を改善することは、むしろ嫌々働いている人たちの状況を改善し、被害を訴えやすくすることにもつながります。セックスワークイズワークの受益者は、当然現役ワーカーを中心とする当事者なのです。 だから、繰り返し述べているように、セックスワーク・イズ・ワークと廃絶派を、「自己決定か搾取か」という対立として捉えてほしくありません。 性的サービスを販売する人々を、全員一律に「被害者」とみなす思想に抗しているのが、セックスワーク・イズ・ワークの側なのです。 「「被害者萌え」では救われない――セックスワーク論再考」(青山薫×要友紀子×荻上チキ)
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