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宮内悠介
@chocolatechnica
創作全般(文、音、絵)/文庫『ラウリ・クースクを探して』、次出る本『Z線上のピエタ』、訳書『最初のテロリスト カラコーゾフ』など。過去作は下記FBリンクに。つぶやきの傾向→
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思うのですが、みい山はメッセージや教訓を書かずにいる。多くの私小説とかがそうであるように。ところが、あたかも啓蒙的であるかのように売られた。それによって、人の数だけのメッセージを読み取られた。ウシジマくんはそのへんのコントロールができていて、「これはこういう話」みたいのがブレにくい──という感じに見ています。
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「ウシジマくん」のほうが批評性があるとはどうしても思えなくて、なのになぜこうも「みい山」は許されずウシジマは許されるのかと考えてみた。というのも自分の感覚だと、露悪の度合いはウシジマのほうが高い。「みい山」は露悪というより「不器用に描かれた現実」に見える。自分はみいちゃんを醜悪だと感じない。だってああいう人いるでしょ。醜悪なの周囲の人でしょ。よくある話でしょ──と、問題はたぶんそこにある。ウシジマは逆に虚構性が高く、読者との距離が遠い。そのことが安全弁として働く。なんていうか彼らはちゃんと舞台の上にいる。ウシジマは賢明で、炎上せず、楽しくダークツーリズムを提供する。その点においてこそ、あの金貸しの話は邪悪だと思っている。「みい山」はそうじゃない。誤解を恐れずに言うなら、いや誤解をかなり恐れつつ言うなら、「みい山」はその文学性ゆえに──もう少し慎重に限定して言うなら、虚構性が低すぎたがゆえに、お茶の間に流すかどうかで揉めたのではないか。
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「何警察ならやってもいいか」はわりとその人が出そう。たとえば、レアハンバーグ警察をやる気はない。アボガド警察をやる気もない。でも生存者バイアス警察はちょっとだけやりたい気もする。
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うんとちょっと待って、私のやつの左に宇宙一おもしろい本が……いやなんでもない、ブックスルーエさんありがとうございます。
私小説についての自分の考えは以下。1.私小説に他者を供するのは加害である、2.その加害は作品の出来や客観性によって情状酌量されうる、3.したがって著者側が免罪されると考えるのは傲慢である、4.しかしこの加害は芸術の一形態でもある、5.責は著者にある、6.他の著者もこれを守るべきとは思わない
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