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柴田英里
@erishibata
現代美術作家。文筆家。 ご依頼はshibataeri123@ヤフー.co.jpまで。 『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』(KADOKAWA)発売。 ▼ニュースレター ▼note
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今回は女性表象に対する(ある種病的なまでの)過敏性の話だけど、次回は男性表象に対する鈍感性を扱うんにゃろか? 表現と「社会正義」の過剰接続:『みいちゃんと山田さん』炎上について思うこと
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表現と「社会正義」の過剰接続:『みいちゃんと山田さん』炎上について思うこと | サイレント・マジョリティのためのジェンダー講座
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> 人間は言語を介して解釈を行うため、「炎上したクリエイティブそのもの」と「批判者(投稿者)のフィルターを通して言語化されたクリエイティブ」は全く別のものです まさに。怒りたがっている人が、気に食わないものの粗を探してぶっ叩いていることの多さといったら
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当たり前の話なのにこれ通用しない層が昔からいるの不思議笑。そういや「こんな酷いことが許されるか!」って問題提起を掲げたコンクリ殺人映画もただ過激すぎるあんな犯罪を映画にして不謹慎って出演してたゆずの人まで叩かれまくったよね。結局大衆なんて多角的なんて言葉知らないんだろ笑
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「叩きまくる」宣言って怖いですねえ。
そんなわけあるか。叩きまくるわ。
フィクションと現実の区別をつけず、過剰に共感している人が増えていることに違和感を抱き書きました。
確かに、コロナ禍を起点に風向きが変わったという感触をありありと感じています。
『みいちゃんと山田さん』をめぐる反応で、少し驚くのが、みいちゃんに不快感を抱きながら、同時にみいちゃんへ強く共感し、その怒りを作者に向けるケース。 う、うん……そうね。まあ、そうなる人もいるよね……。 ただ、この作品は、みいちゃんを差別したり、見下したり、都合よく扱ったりする周囲の人間を、作中ではかなり明確に「敵側」として描いてる。特に山田さんの母親や、キャバクラの同僚たち。その言動を肯定するのではなく、むしろ醜悪なものとして読者に見せてるんよ。 物語の軸にいる山田さんは、みいちゃんを一方的に救済する聖人でも、突き放す差別者でもない。理解しようとしながら、助けようとしながら、それでも少しずつ限界へ追い込まれていく中間的な立場。その山田さんを通して、差別する側の醜さだけでなく、善意だけでは人を救いきれない現実まで描いてる。(単行本最新話までの感想) そして今、物語は最終回に向けて、序盤から示唆されていた結末へ進んでる。ワシには、みいちゃんを笑いものにする作品というより、みいちゃんのような人が社会の中で傷つけられ、孤立し、追い詰められていく構造の恐ろしさを描いた作品に見える。 もちろん、「みいちゃんの描き方そのものが差別的だ」と読むのも自由。ただ、差別を生々しく描いていることと、作品が差別を肯定していることは別なんよ。少なくとも一般的には、差別する側の視点へ読者を誘導する作品ではないと思う。 まあ、これはあくまでワシの感想ですけども。
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「サイレント・マジョリティのためのジェンダー講座」のニュースレターに登録しました! @erishibataより
いいえ、フィクションと現実は明確に異なるものです。現実に起きた悪質な事件を引き合いに出してフィクション表現を断罪することや、フィクションの表現を現実社会とイコールとすることには、論理的な飛躍があり、因果関係も相関関係も存在しません。
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“近年、フェミニズムやポリティカル・コレクトネスといった社会正義の価値観が台頭し、共感や連帯を軸としたアクティヴィズムが活発化しました。しかし、この「共感」の過剰な重視は、異論を許さない空気や、異なる意見に対して即座に「加害」のレッテルを貼るような言論の硬直化をもたらしています。 ポリティカル・コレクトネスには時に「言葉狩り」の側面が見られ、女性やセクシャルマイノリティの肯定的側面のみを過剰に強調する傾向があります。「多様性の尊重」を掲げながら、自らの「社会正義」観にそぐわない価値観を恣意的に排除・忘却しているのです。” 表現と「社会正義」の過剰接続:『みいちゃんと山田さん』炎上について思うこと
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表現と「社会正義」の過剰接続:『みいちゃんと山田さん』炎上について思うこと @erishibataより >「無責任で場当たり的な行動が他害(他者への実害)につながっているか否か」という点にある さらに問題なのは「圧倒的な他責」ですね。 これがある以上彼女の矯正は難しい
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いろんな意味で現代人は「自他の境界線」が怪しくなっているが、 実在と非実在の境界線 までもが怪しくなってきている感じはある。 仮面ライダーや戦隊が「いる」と思えるのは幼児まで。 その線引きを踏まえて、社会を俯瞰できるのが大人なのではないか。
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“ロクサーヌ・ゲイは著書『バッド・フェミニスト』の中で、11歳の少女が集団性暴力に遭った事件に関するニュース記事を引いて「フィクションの中の暴力と現実に存在する暴力を切り離すことはできない」と主張しました。しかし、フィクションと現実は明確に異なるものです。現実に起きた悪質な事件を引き合いに出してフィクション表現を断罪することには、論理的な飛躍があり、因果関係も相関関係も存在しません。 感情はどこまで行っても「感情」であり、「客観的事実」とは同義ではなく、「共感」をベースにしたナラティブは、解釈の幅を狭め、自都合に歪曲されやすいという脆弱性を抱えやすいのです。” 表現と「社会正義」の過剰接続:『みいちゃんと山田さん』炎上について思うこと
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フィクションと現実の出来事は違うっての、だんだんこの垣根なくなってくるかもしれんよな。地球の裏側でめっちゃ不幸に見舞われてる人とか、実質自分らにとったらフィクションみたいなもんやし。批評的創話とかいって、むしろフィクションこそがファクトよりもよりリアルを映しだす鏡になるとか言い出してるやつもおるし。こういうの真剣に唱えられてくる可能性あるで...
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登場人物への投影には男女差があるよなー
フィクションと現実の区別をつけず、過剰に共感している人が増えていることに違和感を抱き書きました。
今週のニュースレターです。フィクションと現実は異なるということをもっと思い出して欲しいと思い書きました。宜しくお願いいたします。 表現と「社会正義」の過剰接続:『みいちゃんと山田さん』炎上について思うこと @erishibataより
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男性が持つ「内なる加害性」はいわゆる弱者男性が10だとしたらお前らバンドマンは9800くらいあるのに「俺もお前も気をつけよな」とか説教しだしてくるんだからたまらんよ
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