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井上伸@雑誌KOKKO
@inoueshin0
国公労連の雑誌KOKKO編集者 山家悠紀夫先生との共著『消費税増税の大ウソ』(大月書店)
参加 September 2017
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ゾーラン・マムダニ氏「憎しみによってではなく、多様な人々が共に生きる」「互いを恐れる社会ではなく、互いの尊厳を認め合う社会へ」(2025年10月24日「イスラム嫌悪に抗する演説」)
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ゾーラン・マムダニ氏「憎しみによってではなく、多様な人々が共に生きる」「互いを恐れる社会ではなく、互いの尊厳を認め合う社会へ」(2025年10月24日「イスラム嫌悪に抗する演説」) この数日間、私は自分自身について、そしてこの街について、たくさん考えてきた。私は長い間、できるだけ冷静に、できるだけ礼儀正しく振る舞えば、人々は私を一人の候補者として見てくれると信じていた。争いを避け、政策の話に集中していれば、それで十分だと思っていた。 しかし、そうではなかった。どれだけ穏やかに振る舞っても、どれだけ話題を変えようとしても、差別や偏見そのものが消えるわけではない。沈黙することによって、憎しみがなくなるわけではない。むしろ沈黙は、それを当然のものとして受け入れることになってしまう。 私は、自分がムスリムであることを隠して生きていくつもりはない。信仰を持っていることを恥じるつもりもない。自分が何者であるかを小さく見せることによって、誰かに受け入れてもらおうとは思わない。 9・11以降、多くのムスリムが恐怖の中で生きてきた。私の家族も例外ではなかった。ヒジャブを身につけた叔母は、地下鉄に乗ることさえ怖がるようになった。普通に生活することすら、不安を抱えながらしなければならなかった。 そして多くの人が、「目立たないようにしなさい」「宗教のことは話さない方がいい」「できるだけ周囲に合わせなさい」と言われながら育ってきた。自分を守るために、自分自身を小さくすることを学ばされてきた。 しかし、私はそうした生き方を次の世代に受け継がせたくない。若い人たちが、自分自身を隠すことを前提に生きる社会であってはならない。人は、自分らしく生きるために謝罪する必要などない。 私たちが求めているのは特別な扱いではない。優遇でもない。誰かより上に立ちたいわけでもない。ただ、他のすべてのニューヨーカーと同じように扱われたいだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。 いま起きている攻撃は、私一人に向けられているものではない。その背後には、「ある人々は本当のアメリカ人ではない」という考え方がある。しかし、この街をつくってきたのは、さまざまな背景を持った人々だった。移民も、労働者も、宗教的少数者も、この街の一員である。 私は、恐怖を利用する政治を拒否する。誰かを悪者に仕立て上げ、人々を分断することによって支持を集める政治を拒否する。そのようなやり方は、一時的には票を得られるかもしれない。しかし、それによって社会は傷ついていく。 そして私は知っている。ムスリムだけが偏見に苦しんでいるのではない。黒人、ラテン系、アジア系、移民、ユダヤ人。多くの人々が、それぞれ異なる形で憎しみや差別を経験してきた。 だからこそ、私たちは互いに連帯しなければならない。 反ユダヤ主義も許されない。イスラム嫌悪も許されない。人種差別も許されない。どのような憎悪であっても、誰か一人だけの問題ではない。それは民主主義全体の問題である。 私は、自分が何者であるかを変えない。自分の名前を変えない。自分の信仰を変えない。自分自身を小さくして受け入れてもらおうとは思わない。 そして私は、次の世代の子どもたちが、自分の名前を恥じることなく、自分の宗教を隠すことなく、自分のルーツを恐れることなく、堂々と生きられる街をつくりたい。 私たちは、恐怖の中に閉じこもり続けることもできる。 しかし、そうではなく、光の中に歩み出すこともできる。 互いを恐れる社会ではなく、互いの尊厳を認め合う社会をつくることができる。 私は謝罪しない。私は後退しない。そして私は希望を失わない。 この街は、憎しみによってではなく、多様な人々が共に生きることによって前に進んできた。 これからもそうであるべきだ。 (※この演説は、アメリカの進歩派の間では、単に「ムスリムへの差別に抗する演説」というだけでなく、「差別に適応するために自分を小さくすることを拒否し、恐怖ではなく連帯を選ぶことを訴えた演説」として、高く評価されています。特に終盤の「私は変わらない」「私は謝罪しない」「私は希望を失わない」というメッセージは、キング牧師やネルソン・マンデラの演説にも通じる普遍的な人間の尊厳の訴えとして、多くの支持を集めました。※ChatGPTによる抄訳です)
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