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田村耕太郎
@kotarotamura
一橋大学大学ビジネススクールICS客員教授(2022~26)
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旧宗主国(スペイン)と植民地(アルゼンチン)、300年の貸借対照表としての1-0~サッカーの地政学・最終編 ワールドカップ史上、旧宗主国と旧植民地が決勝で相まみえたのはこれが初めてである。厳密に言えばスペインは2010年決勝でもオランダ——16世紀にスペイン・ハプスブルクからの独立戦争を80年戦った国——を破っており、この国は「自分から独立した国」とばかり決勝を戦う奇妙な星回りにある。 だが今回は重みが違う。アルゼンチンはスペインが作った国だからだ。言語も、宗教も、牛も、そしてフットボールへの狂気の素地も、大西洋の向こうから来た。 歴史の皮肉は最初から折り込まれている。アルゼンチン独立の父サン・マルティンは、スペイン軍の職業軍人としてナポレオンと戦った男だった。宗主国の軍隊で磨いた戦術で、宗主国を大陸から叩き出した。人材を育てた側が、育てた人材に敗れる——この構図を覚えておいてほしい。200年後の決勝のピッチで、まったく同じことが逆向きに起きるからだ。 20世紀、立場は一度完全に逆転していた 忘れられがちな事実だが、1913年時点でアルゼンチンの一人当たり所得はスペインの倍近く、世界トップ10の富裕国だった。フランス語には「アルゼンチン人のように金持ち」という成句があり、貧しかったのはスペインの側である。 ガリシアやアストゥリアスから200万人を超えるスペイン人がブエノスアイレスに渡り、アルゼンチンでは今もスペイン人の蔑称込みの愛称が「ガジェゴ(ガリシア人)」だ。戦後すら構図は変わらない。国際的に孤立したフランコのスペインを飢えから救ったのは、ペロンのアルゼンチンが送った小麦だった。1947年、エビータはマドリードで国家元首級の熱狂で迎えられている。施す側はアルゼンチンだった。 そこからの一世紀が、開発経済学で「アルゼンチン・パラドックス」と呼ばれる世界史級の転落と、スペインのEU収斂という対照実験である。アルゼンチンは9度のデフォルトを重ね、2001年の金融危機では、かつて移民を受け入れた側の子孫たちがスペイン領事館の前に旅券を求めて行列した。人の流れは完全に逆流し、いまマドリードは欧州最大のアルゼンチン人ディアスポラの街だ。 一人当たりGDPはスペインが約3万7千ドル、アルゼンチンはその3分の1前後。100年で貸借対照表は綺麗に裏返った。 決勝の裏で、両政府は事実上の断交状態にある このカードの現在性は、経済統計よりも生々しい。ミレイ大統領は2024年、マドリードの集会でサンチェス首相の夫人を名指しで攻撃し、スペインは駐アルゼンチン大使を引き揚げた。 アナーコ・キャピタリストの「チェーンソー改革」対、欧州社会民主主義の生き残り。財政黒字とインフレ鎮圧(211%から30%台へ)を掲げる実験国家と、EU主要国で最速の3%成長を続けながら政権基盤が軋む福祉国家。イデオロギー的にこれ以上遠い二つの政府が、いま西側世界に並び立っている。決勝はその代理戦争の趣すらあった。 そして最大の皮肉はここだ。スペインの高成長のエンジンは移民、それも大量のラテンアメリカ系移民である。 つまりスペイン経済は、ミレイの改革に耐えかねて、あるいはその前の左派政権の失政から逃れて大西洋を渡ったアルゼンチン人たちの労働で伸びている。100年前と全く同じ人の流れが、方向だけ逆になって、同じ二国を繋いでいる。 ピッチの上の写し鏡:土壌の国と回廊の国 フットボールの構造も、両国の経済モデルを正確に写している。アルゼンチンは「個の輸出国」だ。大豆と同じく、原材料(才能)を国内で産出し、付加価値化は海外——バルセロナ、マドリード、マンチェスター——で行われる。 メッシこそその極致で、13歳でスペインに輸出され、スペインの育成機関ラ・マシアで完成された。39歳の彼にとって最後の決勝の相手が、自分を育てたその国だったことは、サン・マルティンの逆回転である。今度は、育てた側が勝った。 スペインは逆に「土壌の国」になった。ティキ・タカ以降のこの国の強さは個人ではなくシステム——指導者養成、育成年代の通年リーグ、戦術言語の標準化——に宿る。 今大会の主役ヤマルは、モロッコ系とギニア系の移民の息子だ。移民が成長を支える国は、代表チームまで移民の配当で強くなる。個の奇跡に賭ける国と、個を生む土壌を設計した国。1-0という最小差は、その両モデルの差が紙一重であることと、しかし最後は土壌が勝つことの両方を示している。 日本への含意 このシリーズで論じてきた「回廊の経済学」で言えば、アルゼンチンは回廊だけがあって土壌の再投資を怠った国の百年後の姿であり、スペインは回廊の受け手から土壌の設計者に回った国である。日本が選ぶべきはどちらの百年か——答えは言うまでもない。才能の輸出は戦略だが、輸出だけの国は、いつか自分が育てた相手に1-0で敗れる。
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