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暮しの手帖社
@kurashinotecho
2023年9月に、創刊75周年を迎えた雑誌『暮しの手帖』を出版しています。新刊のご案内、書店フェア、展覧会の情報をつぶやきます。(お問い合わせや、ご注文は受付けておりません。ご了承ください。)
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きょうは8月15日、81回目の終戦の日です。 小社は、終戦の翌年に創業しました。雑誌『暮しの手帖』を創刊したのは1948年、まだまだ物がなく、人々が暮らしをなんとか打ち立てようとしていた頃でした。 初代編集長の花森安治は、敗戦を迎えた日のことをこんなふうにつづっています。1971年刊『一銭五厘の旗』より。 ### 戦争がない ということは それは ほんのちょっとしたことだった たとえば 夜になると 電灯のスイッチをひねる ということだった たとえば ねるときには ねまきに着かえて眠るということだった 生きるということは 生きて暮すということは そんなことだったのだ 戦争には敗けた しかし 戦争のないことは すばらしかった ### きょうは、29586日目。 夜になれば電灯をつけ、ねまきに着かえて眠る、 人々がそんなあたりまえの日々を取りもどして、29586日目のきょうです。 近年、「いまは戦後ではなく、戦前である」という言葉を聞くことが増えました。 一方、「戦争をしたい人などいない。戦争を防ぐために、抑止力を持つのだ」という言葉も。 29587、29588、29589、29590、29591、29592、29593、29594…… わたしたちはこの先、どれだけ、このあたりまえの日々を守っていけるでしょうか。 しきりと思い返すのは、金田茉莉さんの言葉です。2022年に発行した『暮しの手帖』19号の記事から。10歳になろうとするときに東京・浅草の空襲で親を亡くし、戦争孤児として戦後を生きた金田さんは、淡々とした口調でおっしゃいました。 「戦争を知らない人は、戦争とは兵士同士が勇敢に戦うものと思うかもしれません。でもウクライナを見ればわかるように、民間人がひどい目に遭い、家族を失い、家を焼かれて、ふるさとをなくす、それが戦争の本質です」 そして、こうもおっしゃいました。 「国は責任なんか取りません。大人として、そのことを知っておいてほしい。そして、未来の子どもたちを守ってほしいと思います」 「国」は、戦争孤児たちにいまだなんの補償もしていません。国が責任を取る姿を見ないまま、金田さんは、2023年に亡くなられました。 戦争責任とは、なんでしょう。 国が責任を取らないとするならば、戦争を知る人がいなくなるこの先に、誰が、どのようにそれを担うのでしょうか。 私は、戦争責任とは、「戦後」を、「戦争のない日々」を、続けていく責任のことだと思います。それを担えるのは「国」などではない、主権者たる私たち一人ひとりである、とも。 戦争の犠牲になった人を思って。未来を生きる人のために。そして、戦中に虐げた方々に対する「約束」として。一人ひとりが、歴史に学び、過去を顧みて、「戦後」を続ける不断の努力をする。 それが、電灯をつけ、ねまきに着かえて眠る私たちが果たせる、責任であるはずです。 そして、思うのです。世界に目を転じれば、きょうは「終戦の日」ではないことを。いまも戦下で息を殺し震えて眠る人がいて、かけがえのないいのちがこの瞬間にも消えようとしていることを。 あらゆる戦争を、虐殺をゆるさない。それをゆるす政治はゆるさない。 困ることは困ると言う。おかしいことはおかしいと言う。 皆で言う。ひとりでも言う。 29586日目のきょう、81回目の8月15日。 皆さまがこうした誓いに賛同し、ともに心に刻んでくださることを願います。 『暮しの手帖』編集長 島﨑奈央 *** 写真1枚目:『暮しの手帖』5世紀37号(2025年8-9月号)「いま、一銭五厘の旗を立てるなら」で制作した旗。(撮影 竹之内祐幸) 写真2枚目:花森安治・著『一銭五厘の旗』(1971年刊)
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