登録して招待リンクを共有すると、動画再生報酬と紹介報酬を獲得できます。

長岡マイル
@mile_nagaoka
映像作家。
819 フォロー中    1.2K ファン
天神最高でした。死ぬほど汗かいて死ぬほど水飲んで死ぬほど撮りました。
大阪天神であれしてました 明日もなにします
えええ。
【訃報】 作家・赤松利市さんが7月13日、70歳でご逝去されました。 「藻屑蟹」で大藪春彦新人賞、『犬』で大藪春彦賞を受賞され、 弊社デビューの作家として素晴らしい作品をご執筆いただきました。 心よりご冥福をお祈りいたします。 #赤松利市 ##大藪賞 ##藻屑蟹#
もっと見る
映画『軍服を着た神様』予告解禁 台湾と日本、過去と現在、あの世とこの世を結ぶ不可思議なドキュメンタリーが8月公開
もっと見る
死者の顔を撮ったのは初めてだ。
タクシー乗り場ないっちゅうねん
出先。とりあえず諦めずなんか書いた。これから静岡。
少し前。一瞬携帯見ただけで巡査にとっ捕まって反則金18000円の納付書を渡されてて、今日が期限かと思ってたら1日過ぎてて、うげえと思いながら警察へ。 「ここでは払えません。前の郵便局なら、いけるかもしれません。担当者によります。ワンチャン行ってみ」などとゴニョゴニョいう。 郵便局に行ったら普通に払えた。帰り際に「もうここに来んように気をつけますわ」と言うと、窓口のお姉さんが「違う形で会えることを期待してますわ」って、なんやそれ。
もっと見る
今日も朝から15Pキメる。しんどい。日常に戻って雑務せねば。
忘れぬうちに。 僕が、きわみ堂で初監督した、野村万之丞@man_jyoooさん一家を追った、「野村万蔵家・狂言の最高秘曲に挑む」のなにがあれでというか、再放送が御座います。 放送予定 2026年7月31日(金)21:00~21:30 再放送  翌週 8月7日(金)13:10~13:40
もっと見る
ご報告というか告知というか、まあ告知なんですが、約參ヶ月の長きに渡りチラチラ取材して参りました、尾上左近、すわ、尾上辰之助さんに密着したドキュメンタリーが、明日金曜日夜21時からNHK Eテレにて放送される運びと相成りましたので、茲にご報告させて頂きまする。 タイトルは、そのものズバリ「襲名 三代目尾上辰之助誕生!」です。次はないやろなーと頓悟しておったのに、またまたご指名いただいてしまっちゃいまして二本目。テーマはなんと歌舞伎。わお、マジかよ、できんのかよ、やべーやないのよ。とか思いながら、歌舞伎ずわぁあに赴き、まあ場所が場所ですから、制約というんでしょうか、そういうものもありつつも、番組中で神田伯山さんが仰っておられるように、なんだか無性に引き込まれてしまうような若干二十歳のシン辰之助に出来る限り追い縋ってできた本作。スタジオトークもままありまするので、だいたい半分くらいが僕の映像になっとりまっする。 いやさ、俺のような門外漢にとって、一代目辰之助という御仁が凄まじい人気を博していたとか、「天才」と誰もが評していたけども惜しくも夭折したんだとか、そういう事も皆目知らぬまま特攻してったのですが、幾多の資料映像を見るうちに、シン参代目と一代目の顔がシンクロしてくるというか、瓜二つに見えてくるというか、不思議な感覚がありました。初日のこけら落とし、鳥屋と呼ばれる控室のカーテンがシャラララと開き、花道を歩いていく時の、まさに割れんばかりの、いやさ、歌舞伎ずわぁの天井がもう割れたんじゃないかと思うほどの拍手。祝福されてました。泣いてました。俺もなぜか泣いてました。スター誕生。 とまあ、歴史に対する責任がとっても伴う仕事と相成ったのでございますが、出来る限りの事はやらせていただきました。 ってわけで、お暇のある御仁、紳士淑女の皆々様ぜひぜひご覧頂きくださいませぇぇぇぇぇ。 ーーーー NHK Eテレ 2026年7月3日(金)21:00~21:30 NHK Eテレ 2026年7月10日(金)13:10~13:40 ※再放送 出演 アナウンサー:石橋亜紗 ゲスト:尾上辰之助 / 神田伯山 語り:佐々木啓夫 司会:高橋英樹 / 大久保佳代子
もっと見る
娘とたすくが居間のテレヴィジョンで、太めの指だけ映っておる男が、怪態な声と喋りで、魚のおろし方を解説する動画をリラックスして見ておった。「なんやこれ」と訊くと、「おろちんゆ」だと言う。何度聞いても俺は名前を覚えられず、これを書くためにもう一度娘たちのところに言って確認し、それが「おろちんゆ」である事を辛うじて覚え、アイスが溶けぬうちにダッシュで家に帰る小僧のように小屋に戻ってここに「おろちんゆ」と打ち込んでいる。キモさ売りというか、奇矯というか。ノイズ感っちゅうか。子供にはたまらぬと見える。大事よな。左様な、生真面目をおちょくるというか、近代文明の歩みを一瞬で全否定する感じ。楽しいよな。娘は前々から「アサギーニョ」なる人物に嵌っておって、只管見て、メイキャップとか美肌づくりとかファッションセンス等の情報をしこたま仕入れておる。俺も老いたな、と思う。
もっと見る
真面目な俳優なら、役にすこしでもリアリティを持たせたい、作り込みたいって思う筈。感覚としてだけど、肩口から足迄憑依するようにキャラクターを入れようとする。夫婦設定なんだったら、当然夫婦として振る舞おうとする。そうしないと芝居なんかできんから。 うっすい知識でマジで申し訳ないんだけど、アクターズ・スタジオ系のメソッド系の役者、例えばデ・ニーロなんかが、一般乗用旅客自動車の運転手の役やるために数ヶ月ガチでTAXI乗って働いてたとか、クリスチャン・ベールみたいに増減量を役作りで信じられんほど繰り返すとか、そういうタイプの役者もまま居る。見る人は、やべえ、すげぇと思いもする。 俺がフィクションの映画を初めて作った時、主演の女優さんが、「旅館の仲居さん」という俺が考えた役を演じるため、誰にも内緒で旅館で下働きとして修行に出てたなんて話を後で聞かされた事もある。その子もメソッド系の教育を受けていた。 役者というのは、だから無茶苦茶マゾヒストというか、翻って自分にはサドというか、どこまでも徹底してやりたくなってしまう人がたぶん多くて、そして一旦憑依したキャラから抜けれないとか、憑依したのはええけど自分の本来性と違いすぎてキツいとか、そういうのに屹度都度苦しんでもいて、そこでそういう人らに演出せんといかん監督とか、プロデューサーとか、キャスティングの人とか、マネージャーとかの周囲の人は、「ここではマジでやらんでいいからね」とか「本気の三割ぐらいでいこか」とか、事の軽重というか、現場の空気とか予算・スケジュール進行とかを考慮して、役者に伝える、ブレーキ役となるみたいな事が必要になるんやと思うのだわ。 日本の商業映画は、金がなさすぎて、撮影期間も一週間とか二週間くらいの時間しかないもんが多い。撮影は順撮りでやることもあんまないやろし、感情の持っていき方とかもそれほど考慮される事が抑、物理的にないっていうか、それよりも美術、コスチューム、カメラの塩梅、照明の具合、録音、小道具の有無みたいなののタイパというか優先度が大事で、役者というのがちゃんと稽古できる時間なんて、数回の本読みぐらいで、あとは「台詞入れといてね」とか言われて自主練するくらいで、それほどないんとちゃうやろか。で、有名無名に問わず、割と不安を抱え、あれでよかったんやろかとか、今の感情は合ってたんだろかとか、そういう疑心暗鬼を抱えつつ、「ま、これテレビドラマやしええか」ぐらいに年をとればちょっと丸くなるというか摩耗してきて、赦せるようになるもんじゃないんか。 で、件の佐藤氏の話に戻るけど、共演する女優さんが、名はある程度知られてるっぽいけど、民放のゴールデンアワーで主演みたいなのは初っぽいから、先輩の役者として、色々助言したくなるだろう。トラウマ云々を聞かされてたのか、知らんかったのかは俺にはわからんけど、あなたも大変やろうけど、そういうのが苦手なんやったら、(前述のようにどこまでも入り込んで犠牲にして没頭するのが宿命みたいな感じのある)役者を今後やるの無理じゃんか、と「うわあああ」となって口走ったんじゃないか。よかれと思って。アドバイスした。そんな気がする。相手が無言でいたら更に続けるやろう。「〇〇の時の長澤まさみはこうやって乗り切ってた」とか、「梶芽衣子さんはあの〇〇に〇〇までしてた、あの人でもそんだけ全部を注いでたのよ」みたいな具体論を繰り出して、よりイメージしやすい助言として膨らまそうともするやろう。 左様なものって、俺等中年男性あるあるというか、経験してたり、知ってたりするからこそ、後輩とか、弟子入志願者とかに、なんかいい感じの事をゆーたらなあかんとか思ってつい口から衝いてきてしまう。粛々として傾聴せなあかん側の後輩とか年下からすると「マウントやん」とか「めっちゃこいつ偉そうやん」とか「時代が違うやんけ」と瞬間氷結してしまうような説教をぶってしまう。ましてや佐藤二朗は若く見えるけど、もう60前で、俺なんかよりも更に濃厚にそういう、昔の所謂昭和的常識を引き摺っとる筈。しかも、そういう話題をフレンドリーにというか、五分五分の立場を心懸けて、ゆっくりと伝わるように言う、ような事にも全然慣れてなくて、どうしても上の世代に殴られてた事とか、土下座させられたとか、泣かされてそれで自分は改心したんやみたいなしょーむない記憶もあるから、顔引きつりながら、無呼吸で一息に言ってしまったりもする。ましてやああいうおちゃらけキャラというか、汚言症のような事をわちゃわちゃ言いまくるような芸風の人であるし、というかそれは本人の天然なところも過分にある筈だけども、とにかくそういう人が「うわああああ」となって真面目に律儀に「指導」したろと思って言ってまったんじゃないか。 よく巷間を賑わすルッキズム問題というか、人間は同じ事でも美男美女が言うと信じてしまうという真理というか、精神構造があるらしいから、同じ事を反町隆史とか阿部寛に言われるのと、佐藤二朗に言われるのとではまるで違うのだとも尤もだと察せられる。キムタクからそれを言われて、後でキムタクがつけてたのと色違いのサングラスとかプレゼントされてたら、「素敵」とかトキメいて、また違う文春砲の種になったかもしれん。 現場が、濡れ場はなさそうなトレンディドラマだからとて、夫婦設定なんだから、少なくとも同じ寝室で寝たり、一緒に湯船に浸かったり、なんかキスしたりするよな設定、シーンも当然脚本に組み込まれてる事だろう。 もし己が当該の脚本家だったら、そこを全部はずして書くのはかなり至難の業で、テクを要す。それこそ「嫁に何かのトラウマ、失調がある」とか、「なんらかの恐怖症とか疑念とかがあって、夫婦だってバレるのがまず無理なメンタル持ち」とかいう設定を作るしかなくなる。 シナリオ作法というか、ドラマトゥルギーとして「夫婦別姓刑事」っちゅう作品名から本編を邪推するに、普段は周囲にそれを隠してて、え、それなんでなの?というのを最後まで引っ張り、最終回のオチで唖然とするような伏線回収するっていう話しにするしかない、というか、まあそうでしょ。テーマとしては、夫婦でなにもかもニコイチになるんやない。サステイナブルで、ジェンダーに配慮してる「今風夫婦」が、今風であるからゆえ、旧態依然としたままの社会で苦戦するが、そこに風穴をあける。ぐらいの設定になる筈だ。しらんけど。 訊くところによると、佐藤二朗は、強迫性障害に罹患してるという。俺はなった事がないのでわからないんだけど、なんかが気になってまったらそれが二六時中忘れられなくなってしまって、「うわああああ」となるような性質というか、たとえば血がついてると錯誤した手を「うわあああ」と洗い続けてまうような、トイレにいった後ウォシュレットをするのに忘れて電車に乗ってしまったりしたら「うわああああ」と降りたくなってしまう。そんなような病気なのではないだろうか。だから現場進行とか、制作陣のノリとか、原案・企画が秋元康で周囲が気を使っているとか、誰かの口臭とか、現場の弁当のレベルとか、トイレの清潔さとか、そういうのに耐えれなくて、「うわあああああ」となったんじゃないか。「もう、耐えられない」という言葉は、そういうものに、不承不承耐えていたからこそ発せられる。 そんな事を訳知りに書きだしてしまっている俺は、テレビドラマってのをもう何十年もまともに見たことないんだけど、火曜9時の枠って、「東京ラブストーリー」とか「ロンバケ」とか「ビーチボーイズ」の枠だよなそれ、とまっとうな中年の一人として思ってしまう。で、佐藤のような奇矯な風体の、しかも何やら180センチオーバーで顔に似合わずデカいという役者が、その枠の主役を張れるって、これまで、トラックに突っ込んでいってなぜか急に浅野温子に告白した武田鉄矢以外いたのかと素朴におもうた。 俺にはこの人の顔は、バカボンのパパにしか見えぬ。これはバカにしてるとかではなくて、ほんとにいいなあと思うのである。うわずった感じの舌足らずな声もダサくて良い。きっとト書きというか、ぜんぶ台本に書いてある事をそりゃあ読んでいるんだろうけども、あの声できくと、台詞感があまりない。一昔前の農民顔。ブサメン、醜男、変人。イケメンが吐いて捨てる程いて、華麗に跳梁跋扈してるエンタメ界というか世の中で、それを逆手に取り、其奴らが忌避するような役が器用にできることを売りにしてきた人なのではないのか。ちょっと前だったら必ず竹中直人がやってきたポジションというか、その後香川照之が引き継いだようなポジション。たとえば「シコふんじゃった。」という昔の作品で、腹を壊していて緊張すると糞をもらしそうになるという役は、この手のキャラでないと笑えない。 といって俺は佐藤の芝居を「勇者ヨシヒコ」の仏様の役でしか見たことがない。あれは笑った。こいつは芸人なんだと勝手に思っていた。台詞というよりも、即興でノリツッコミをやったり、痛芸とでもいうのか、さぶい、笑えないシニカルな苦笑を齎すような芸風で、松本人志の今は昔のドキュメンタルで、ザコシとかが話題に困って破れかぶれに急にやりだす芸に似てるというか、どう考えても、古い言葉でいえば「性格俳優」とか「三枚目」で形容されるよりエグいというか、渥美清的な役者であり、トレンディ俳優ではない。 去年の日本アカデミー賞の受賞式でのスピーチか何かの映像を見たことがある。そこで、凄い早口で、「俺、日本映画なめてました。某も某も某も某もむっちゃ本気で芝居しとるやんけと感じた。せやからむっちゃこれから俺も本気でやるからな」みたいな事を言うてはったのが印象的やった。この人は芸人やなくて、役者さんだったのか。そんで役者というのを、何か「役者シーン」というか、後進の事とか日本映画の中での立ち位置とかも考えて、本気でやろうとしてる人なんやろな、という印象だけ俺はもった。 その「本気で役者をする」という事が、八頭身の美男美女が跋扈する(って俺の感覚がきっと古いのだけれど)フジテレビのトレンデードラマに出るという事になぜ結びついたのかが、俺には理解できん。きっといろんな大人の事情やとか、事務所間でのバーターとか、ままそういうのがあるんだろう。それとも受賞した俳優だから、何かステージがあがって、名優枠というか、そういう、よりハイランクの枠に入ったとか、そんでギャラが上がったとか、そういうことなのかもしれん。 こういうお題の企画・脚本としては、抑、佐藤ありきで考え、脚本家が書いたものなんじゃないかという気もする。毒にも薬にもならないイケメン俳優では成立はせんと思うし、それ以外だと、それこそ山田孝之ぐらいじゃないと無理なんじゃないか。三枚目というのは、物語類型を考えると、寅さんみたいに恋が成就してはいけない訳で、それがもう夫婦になれてしまってるという、それはそれでなんか斬新な感じというのは、後で「偽装結婚」でしたとか、そういうオチがこないとしんどい。だからもしそうじゃなくて、割と佐藤健とかでも実は代替可能だったような人物として設定されてたりすると。この人がやるべきではなかった役だったよねー、となるが、まあそこは見てみないとわからん。 今日日、ただでさえ志村喬とか、笠智衆とか、田中邦衛とか大滝秀治とか芦屋雁之助みたいな味のある三枚目というか、どこの地方にも、どの業界にもいそうな顔をした俳優で、しかも大役を任せられる人が少なくなってきている。西田敏行が死んだ時、俺は今後自分がフィクション映画を山のように監督する予定もないのに、なぜか凹んだ。それって、上に書いた俳優の演技環境、システム自体のゆとりのなさが影響してる筈やし、もちろん大部屋システムの思い出みたいな「悪役商会」みたいなもんも今あるわけがないし、なんというか、長い間本邦のエンタメ界が、優先的にジャニーズ出身者に色んな役をあてはめすぎてて、皮肉にも、ジャニーズ出身者以上に芝居ができる人が極端に減っているという問題もあるんやと思う。たとえば岡田君以上に殺陣が出来る人がおらんようなそれや。イーストウッドに「誰かおらんか若くてええ感じの奴」と聞かれたら、二宮君以上がおらんとかいうあれや。日本人の食うもんの変化とか骨格の変化とか、メークとか、整形外科技術の進歩なんかも関係があるやろし、そもそもそういうブサイクな奴が役者を志そうなどとは思わないのかもしれん。いや居るかもしれんけど、それだけじゃ食えないとか。って俺は何をかいているのか。 というわけで、佐藤二朗は、「無期限活動休止」すると発表したらしい。俺は氏の推しでも、ファンでも、そして一応言っとくと、パワハラとかセクハラの肯定者とかでもないけど、あの顔とか存在感は、現状の日本人俳優界の中では、実に貴重ななんやないかと薄い目で思ふ。だから今後の俳優人生をこれで終わらせてほしくないし、以前のように、日本を追われたか、自発的に出た人の唯一のコースとして、渡米して、ハリウッドのプロダクションなんかをむちゃくちゃドサ回りしてオーディション受けまくる的な、それこそ真田さんや菊地凛子のような事をしなくても、ネトフリだとかそういう別の道もたくさんあるご時世なのだから、そうやって怪演できる稀有なブサメン役者として生き残って欲しいと、部外者ながら思った。 というか、そもそもそういう世の中だからこそ、フジテレビに喧嘩売るとか、弱小事務所なのに物申すとかいう事が出来ているんやろうな。だから佐藤二朗はたぶん生き残るんだろうなと思った。他におらんし。すまん。
もっと見る
ご報告というか告知というか、まあ告知なんですが、約參ヶ月の長きに渡りチラチラ取材して参りました、尾上左近、すわ、尾上辰之助さんに密着したドキュメンタリーが、明日金曜日夜21時からNHK Eテレにて放送される運びと相成りましたので、茲にご報告させて頂きまする。 タイトルは、そのものズバリ「襲名 三代目尾上辰之助誕生!」です。次はないやろなーと頓悟しておったのに、またまたご指名いただいてしまっちゃいまして二本目。テーマはなんと歌舞伎。わお、マジかよ、できんのかよ、やべーやないのよ。とか思いながら、歌舞伎ずわぁあに赴き、まあ場所が場所ですから、制約というんでしょうか、そういうものもありつつも、番組中で神田伯山さんが仰っておられるように、なんだか無性に引き込まれてしまうような若干二十歳のシン辰之助に出来る限り追い縋ってできた本作。スタジオトークもままありまするので、だいたい半分くらいが僕の映像になっとりまっする。 いやさ、俺のような門外漢にとって、一代目辰之助という御仁が凄まじい人気を博していたとか、「天才」と誰もが評していたけども惜しくも夭折したんだとか、そういう事も皆目知らぬまま特攻してったのですが、幾多の資料映像を見るうちに、シン参代目と一代目の顔がシンクロしてくるというか、瓜二つに見えてくるというか、不思議な感覚がありました。初日のこけら落とし、鳥屋と呼ばれる控室のカーテンがシャラララと開き、花道を歩いていく時の、まさに割れんばかりの、いやさ、歌舞伎ずわぁの天井がもう割れたんじゃないかと思うほどの拍手。祝福されてました。泣いてました。俺もなぜか泣いてました。スター誕生。 とまあ、歴史に対する責任がとっても伴う仕事と相成ったのでございますが、出来る限りの事はやらせていただきました。 ってわけで、お暇のある御仁、紳士淑女の皆々様ぜひぜひご覧頂きくださいませぇぇぇぇぇ。 ーーーー NHK Eテレ 2026年7月3日(金)21:00~21:30 NHK Eテレ 2026年7月10日(金)13:10~13:40 ※再放送 出演 アナウンサー:石橋亜紗 ゲスト:尾上辰之助 / 神田伯山 語り:佐々木啓夫 司会:高橋英樹 / 大久保佳代子
もっと見る
普段サッカーのことなんか一切呟いたりしないんだが、代表戦のこと書いたためか無茶苦茶拡散されてしまって色んな意見が来て驚いてる。 AIに書かせたんだろってのもいれば、駄文に過ぎるからAIに添削させろっていうコメントもあって、目をパチクリさせとるよ。 ファクトチェックしてないやろとか。長すぎポエムとか自己陶酔過剰とか政治思想混ぜんなとか。あーたら何が読みたかったんだ。ライターやらコラムニストやらが食い扶持で書いてる記事と違う、ただの素人の観戦日記に目鯨立ててきなさんなて。
もっと見る
ありゃりゃ嘘っぱち記事だったか。
ファガーソンが、アンリが、イブラヒモビッチが、クロップが、日本はすでにダークホース的存在に留まるレベルではなく、組織的に優れた「強豪国」だとのたまっておる。 ☝️ 老婆心だけど、一次ソース確認してるかな 「Xの画面に次々に現れてくる」レジェンドによる日本への叙情的な賛辞はフェイクだぞ
もっと見る
むう。30年近くサッカーというスポーツを見守ってきた視聴者の一人として、呆然としている。 ファガーソンが、アンリが、イブラヒモビッチが、クロップが、日本はすでにダークホース的存在に留まるレベルではなく、組織的に優れた「強豪国」だとのたまっておる。それがXの画面に次々に現れてくる。嘘じゃないのかと何度見する。嘘じゃないみたいだ。あのオランダに引き分けて、チュニジアに4−0というスコアで心配感ゼロで快勝した。 8年前にハリルホジッチを解任した時、湧くようにどこからか出現した戦術評論家連がいた。彼らは盛んにJanan's  Way、自分たちのサッカーというものを罵倒していた。ヨーロッパの最新の戦術から見ると、ここがやばい。ここがもさい。ここがダサい、と。またそれを引き起こした当時会長の田嶋幸三への悪口雑言罵詈讒謗も果てしなかった記憶がある。 当時低迷していた鹿島に颯爽と帰ってきた「世界を知る男」内田篤人が、大言壮語をして盛んに息巻いていたのに、突如6年前に引退した時に、「世界との差はむしろ広がっている」とボヤいたのは記憶に鮮やかだ。 期待しては毀れる。膨らんではしぼむ。そんな4年に一度のサッカーバブル。20年前に「日本サッカーの日本化」を標榜したオシムが倒れて、中田英寿がブラジル戦後に旅人にジョブチェンジした日から、何かが止まっていた。少なくとも個人的には、そこで興味を失った。 古い話で鼻白むだろうが、1993年の開幕戦でのジーコのハットトリックを視て、鹿島アントラーズというチームに恋をしてから、俺はJリーグというものを折りに触れ傍観してきた。79年生まれであるので、同世代の目覚ましい選手たちの活躍も見守ってきた。いつからだろうか、なんというかサッカーというスポーツが「文化」となったのだなという感慨がここ数年強くなってきた気がするのだ。 鹿島というチームに限って言えば、鈴木優磨や植田や柴崎岳が鹿島に戻ってきたあたりだろうか。そしてかつてのゴールデンエイジの中田浩二がFDになり、小笠原や曽ケ端や柳沢がコーチに名を連ねている。そして鬼木達が監督として舞い戻りの優勝。 自分を磨くために、代表に入るために祖国を捨て外国に旅立ってしまった選手たちがどのチームにもたくさんいた。そしてその都度サポーターたちは、近所の親戚のオジオバのように涙をもって送別してきた。チームは弱くなる。また一からやり直し。原石を探し、育て、売るまで養う。シント=トロイデンのようなチームの多大な貢献は認めつつも、愛着あるチームの弱体化が、国内リーグの衰退につながるだろうとは誰の目に思えた。上田も佐野海舟もそうやって見送ってきたのだし。それが、海外組の帰還という事態で少し変化が起きてきた気がするのだ。もっとも俺はただの外野でしかないし、細かい事情なんて何も知らない。 だが前述の、サッカーの文化ナイズということを痛感した。屹度それは年月のみが紡げる何かなんじゃないか。100年構想リーグのオールスター戦のラストで流れた映像を涙ながらに見て、その思いは強くなった。 そしてこの日本代表である。ドーハの悲劇でアメリカ詣でを絶たれた森保が監督。名波浩や斉藤俊秀だけでなく、長谷部や中村俊輔までもがコーチとして名を連ねている。前回キャプテンの吉田麻也が当たり前のように、コーチ的ポジションにいる。 「All Japan」という言葉は、少し前であれば、かなりさぶく痛い言葉だったろう。君が代を泣きながら歌う監督の姿も、眉を顰めたくなるような姿だったろう。阿部慎之助が馘首された翌月、高校の人格者教師みたいな雰囲気のある森保という監督が、多種多様な才能をまとめて、All Japanで世界に挑む。選手らは口々に「チームのために」という言葉を口にする。鹿島が育てた選手たち、最強フロンターレから海外組になった選手たち、そしてガンバの育てた堂安や中村、井原が育てた冨安、下支えする吉田や長友や南野…。 引用記事のトルコの専門家が言っているのは、誰がいてもいなくても、帰るべき「日本のサッカー」というものが確立されているということだ。 ハリル追放からの8年間、すっかりタレントになった内田が「世界と広がってる」と宣ってから6年間、日本サッカーは一体全体なぜこれほど強豪国化したのだろうか。無論要因は無数にあって、多くの人々の血を滲むような数々の途方もない努力があったのは理解できる。結局それはJFAと、散々世評には貶められて馬鹿にされてきた森保という監督の力量によるものなのだろうか。 国際情勢、政治、経済の低迷、首相の目を覆いたくなるような言動、失態の数々。青シャツを着た人々の熱狂を、右傾化を危惧することは容易いし、今日の渋谷の交差点を評して今様の「ええじゃないか」だと見ることもまた可能だろう。 だが、僕らは、この新しい文化の成熟を、ちゃんと喜んでもいいんじゃないだろうか。少なくとも今日という日は。 呆然。  #daihyo#
もっと見る
気がついたら、旧交ワーミング茶会後に雨逃避とトイレで入った御茶ノ水の丸善で3時間半本ばかりいた。難しい本ばかり次々パラパラと。いろいろ買いそうになるが財布が地団駄。なんか気取ったような本とか文体が、モノホンにムリに思えてきたのであった。頑張るな、無理すな、ネガティブケイパビリティ大事やろ、みたいな弱っちい精神論の本が増えてる気がした。或いは時代の情勢の要請と強制性で、自分もこれらを手に取ったのかもではある。周回して逡巡した。 で、買ったのは、町田康の訳したらしい『宇治拾遺物語』っちゅう一冊。これだけが嘘がないように思えた。なんやめっちゃおもろい。
もっと見る
2026年だけでも、新宿シネマカリテ、シネ・リーブル池袋、シネスイッチ銀座という、東京を代表するミニシアターが相次いで姿を消す。これは単なる店舗の閉鎖ではない。長年にわたり独立系作品や外国映画、ドキュメンタリー映画を上映し、日本の多様な映画文化を支えてきた貴重な文化拠点の喪失である。
もっと見る
私も、いちおう日本を代表する社会学者の一人と言って良いと思いますが(文化功労者です)、高市政権は戦後最悪の政権であると思います。理由は余りにも多岐にわたりますが、嘘と情報操作のみで成り立ち、かつ「自由で民主的な日本」にとって有害となる政策ばかり推進しようとしていると断言します。
もっと見る
0
974
82.3K
30.9K
コミュニティへ転送