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Nobi Hayashi 林信行
@nobi
Seeker of cultural value worth inheriting to 22nd Century. 22世紀に残すべき価値の探求者。良い未来生むとりくみを広く探求、取材し発信: はドイツ幼少期以来のニックネーム
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シリコンバレーのアントレプレナーが「私はリスクを取ってきた」と武勇伝のように語るたびに思う。 本当にあなたが取ったリスクなのか。 会社が成功すれば、創業者は株式価値と名声を手にする。失敗すれば、社員は職を失い、取引先は損失を抱え、ユーザーのデータや購入したサービスは放置され、地域社会には住宅高騰や交通問題が残り、地球には大量の電力消費、水消費、資源採掘、電子廃棄物が残る。それでも創業者本人は有限責任に守られ、次の会社を始め、「失敗から学んだ」とTED Talkのような顔で語る。 それを「リスクを取った」と呼ぶのは、あまりに都合がよすぎる。 自分が全責任を引き受けるのがリスクテイクである。他人の人生、社会、公共インフラ、環境、未来世代を勝手に賭け札にして、自分だけがアップサイドを取り、失敗時のダウンサイドを社会に押しつけるのは、勇気ではない。単なるリスクの外部化だ。 「Move fast and break things」も同じである。自分の玩具を壊すなら好きにすればいい。だが彼らが壊してきた「things」には、雇用、報道、住宅市場、都市、選挙、子どもの精神環境、地域文化、地球環境まで含まれる。何世代もかけて社会が築いた安全装置や規制を「レガシー」「friction」と見下し、先人の失敗と犠牲から生まれたルールを邪魔者扱いする。そして問題が起きれば「イノベーションには失敗が必要だ」と言う。 必要なのは、あなたの失敗ではない。あなたの失敗の後始末を、無関係な人間にさせないことである。 Jeff Bezosのような億万長者が「大胆にリスクを取れ」と語る姿にも、私は同じ欺瞞を感じる。巨額の資産を持つ人間がさらに一つ事業に賭ける「リスク」と、解雇されれば家賃を払えない労働者のリスクは、同じ言葉で呼べるものではない。まして、自分の意思決定によって発生した社会的・環境的コストを自分のバランスシートの外に追い出しておいて、「私は勇敢だった」と胸を張る資格などない。 成功は私有化し、失敗は社会化する。 利益は自分のもの、損害は他人のもの。 規制を破って市場を取り、十分に大きくなった後で「今さら止められるのか」と迫る。 社会を実験場にし、人間をA/Bテストの被験者にし、環境を無料の資源として使い、それでも自分たちを「世界をより良くする人々」と呼ぶ。 これは勇敢さではない。 責任の所在を巧妙に消すための英雄神話である。 だから私は、シリコンバレーの「Risk Taker」という自己像をほとんど信用していない。 問うべきなのは「どれだけ大胆な賭けをしたか」ではない。 誰が決めたのか。 誰が儲けたのか。 誰が損失を負ったのか。 誰が後始末をしたのか。 そして会社が消えた後も残り続ける損害について、最後まで誰が責任を取ったのか。 その答えが一致して初めて、その人をRisk Takerと呼べばいい。 一致しないなら、それはRisk Takerではない。 Risk Externaliserである。
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