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hikaru / 樫田光
@hik0107
Dad of a girl, CxO of Analytics @digital_jpn, Podcaster @free_agenda, Studying Economics @TMU_PR | ex: Head of Data Analyst @mercari_inc | 文章書くのが好きです, INFJ, hsp
가입 April 2010
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めっちゃ正しいと思うんですが、それはあくまで「自分が」を主語にしている範囲の話だと思うんですよね。それもそれでいいと思うのですが、視野によって「自分が」という個に閉じた主語だけだと、壁にぶつかるフェーズが来るからっていうのもあると思います、平均がどうとか無難がどうとかではなく。
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金を稼ぎ、結婚し、子供を育て、親族に囲まれた老後を送る。 それは一つの幸福である。 否定する必要はない。 実際、そのような人生の中に深い充実を見出す人もいるだろう。 子を持つこと、家庭を築くこと、老いてなお誰かに名前を呼ばれること。そこには確かに、人間の生の重みがある。 問題は、それを唯一の正解であるかのように信じる態度である。 世の中には、口には出さずとも、こう考えている人が少なくない。 結局、人は安定した職を得て、家庭を持ち、子供を育て、老後を家族に看取られるのが一番なのだ、と。 そこから逸れていく者は、自分の力を過信しているか、一時的な流行や思想に惑わされているだけなのだ、と。 そして、そういう愚か者は最後には相応の不幸を引き受けるしかないのだ、と。 私はこの考え方を哀れに思う。そこには生の充溢についての思索がないからだ。 人生を、あらかじめ用意された幸福の型に収めること。 それは不安を減らす。失敗の確率を下げる。周囲から承認されやすくなる。 だが同時に、「自分が自分でしかなくなっていく」、あの取り返しのつかない感覚を遠ざけてしまう。 人間には、ある地点からもう戻れなくなる瞬間がある。 何かを選び、何かを捨て、誰にも代わってもらえない形で自分の人生を引き受ける瞬間である。 そのとき人は、単に幸福になるのではない。単に成功するのでもない。自分という存在に、決定的に巻き込まれていく。 それは危うい。滑稽でもある。失敗するかもしれない。だが、その危うさの中にしか生まれない充実がある。 一方で、世間的な幸福を信仰する人々は、しばしばその危うさを軽蔑する。 彼らにとって、逸脱は未熟であり、孤独は敗北であり、独自の道を行くことは傲慢である。 だが、おれはこう言いたい。人生には正解などない。 あるのは、自分が何に賭け、何を失い、何を引き受けたかだけである。 誰かの定めた幸福の型に収まることが、悪いのではない。 ただ、その型の中で一度も震えず、一度も自分を失わず、一度も取り返しのつかない選択をしないまま、他人の逸脱を愚かだと笑うならば、その人の人生は、どれほど整って見えても、決定的に貧しい。 人生後半になってしみじみと感じるのは、生きることの充実、納得は、世間並みに幸福になることよりも、自分が、もう後戻りできないほど自分になってしまうことのほうにある。
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