2026年7月18日夜に
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ムシラセ『##
煙の汽水域』を観ました。会場は小劇場B1。#
ネタバレがあります。
劇場独特のL字客席、舞台の中央にはソファ、上手側にはテーブルとイス。
物語は阿岐之将一演じるひとりの男の3つの時代の誕生日で編まれる。最初は彼の20歳の誕生日、父親の葬儀から帰った彼と母と友人の場面。次に30歳の誕生日、家を出ていく同棲していた恋人と20歳の時と同じ友人。最後は50歳の誕生日、愛人との別れ、かつての友人の記憶。観ていて自分に正直に、不器用に生きる男の歩みに切なさも漂うのだけれど、それがダークな男の哀愁だけに感じられない人生喜劇にも感じられることに次第に捉えられていく。
ひとつずつの時代のありようがけっこう強烈でコメディを観ているようにすら思う。異儀田夏葉演じる3人の異なる女性、最初の時代の母親の人物造形に感嘆。傍若無人に遺骨に頓着なくアジしおを振りかける発想や精進落としのステーキにも笑ってしまいつつ、そこに違和感に感じられない人柄として見事に編まれている。その男が30歳の時の恋人を演じる中でのその性格の解き放たれ方も良い。その時の男には届かない彼女の自由さがしっかりと伝わってくる。50歳の男の愛人役にもその女性の雰囲気がしたたかに作り込まれていて、男のスマホをすべて覗き見るということも彼女ならさもありなんと思わせてくれる。それぞれのコミカルさを男のありようの奥行にする実存感があるのだ。
池岡亮介演じる男の友人のキャラクターもとても繊細に作り込まれていた。彼が実はゲイであることが観る側の腑に落ちる。彼の20歳、30歳のときの想いと男の姿の交わりにも、男が50歳にして甦る彼の存在にも見ごたえがある。
当日パンフレットによるとタイトルの汽水域とは川から流れ込む淡水と海からの海水が交じり合う水域のことだという。気が付けば年齢の移り変わりのなかで男がどのように染まり移ろい変化していくのかに見事に引き込まれている。物語のコミカルな部分に繋がれつつ、この主人公のようではないにしても自分も歳とともに変化していったことに思い当たる。年代ごとに次第に舞台がごたごたした複雑さから経験に丸められシンプルに変化していくことにも考えさせられた。
保坂萌作劇はまた一段とたくらみのしたたかさが増したような気がする。
おもしろうて、やがていろんな出来事が悲劇にも喜劇にも甦り、考えさせられる舞台だった。