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銀髪推進派
@alpaka
愛知航空機の昭和19年9月期(第3期)の営業報告書(企業史料統合データベース未収録)、羽幌炭礦鉄道の有価証券報告書(または昭和35年度上期/昭和40年度上期/昭和43年度上期の営業報告書)とノモスのTangente Wirtschaftskapitänを探しています。
加入 April 2007
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数日前の文京区民出身者が文京区に住めなくなっているという話は割と表裏一体感もあるようなないようなと思うなどして 私なんぞも北海道の田舎の公立出身で東京の大学出て東京で就職して文京区に住んでるのでむしろ追い出している立場なわけだけど
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文京区で、いま異変が起きている。中学受験戦争の激化、地価の急騰、ファミリー向けマンションの高騰、教育熱心な中国人たちの参入。私は、1996年に東京都で生まれ、それから20年以上文京区本郷近辺で育った。ゆとり世代である同級生たちは、その多くが地元を離れ、文京区を出た。実はこのような事態は、いま東京中で起きている。再開発で地価が高騰し、地元の若者は地元に住めなくなり、都心を離れざるを得ない。 都内に実家があっても、その子供たちがさらに家庭を築けるほどの土地がないからだ。 今回はタワマン文学の表裏一体、文京区育ちのリアルを、私の実体験とともに紹介したい。 いまから遡ること約20年。体感としては、当時の時点で、クラスの2/3ほどは中学受験をしていた(私も例に漏れず)。 6年生の三学期になると、中受組は学校をずっと休むので、その間は数人しかクラスにいないという状態になる。 各家庭の傾向としては、お寺の子、医者の子が複数、クラスには絶対にいる(文京区にはたくさんの寺院がある)。 公立小なので、もちろん普通の家庭も多い。 江戸時代から代々文京区に住んでいますという家庭も一部あるが、多くの家は、バブル世代のサラリーマン父が少し頑張って文京区にマンションor家を購入したという感じだった。 大人になった同級生たちは公務員、証券マン、主婦、薬物で逮捕など生き方も多様で、人間ドラマがある。 しかし、独り立ちしたり家庭を持った彼らに今の住処を尋ねると、地元に残っている人は、私含めてほぼいない。 中学受験戦争が激しくなったいま、文教地区として名高い文京区の地価は爆上がり。 そもそも、文京区のサラリーマン家庭組は、3LDK、4LDK程度のマンションを購入しているため、親と大きくなった子が同居することが難しい。 家庭を持った場合出て行くことになるが、その引っ越し先の選択肢として、余裕を持って文京区を選べるほどの収入を得られる子供世代は、そう多くはないのだ。 いま、都心でマイホーム用の不動産を購入している人々へ。 あなたたちの子供が大きくなったあとも、その子は地元に住み続けられるだろうか。子供たちに、「地元」を残してあげられるだろうか。「地元を去る」ことを大前提とした生き方を、すでに選択している自覚はあるだろうか。 なんだか文京区に対して消極的なことばかり書いたが、私がここで過ごした思春期というのは、他の地では変え難い文化的体験を与えてくれたと思う。 不登校だった中学生時代。 学校に行きたくない日は、丸ノ内線のホームでぼーっとして、御茶ノ水で降りて、ニコライ堂やレモン画水(画材屋さん)へ逃げた。あるいはお年玉を握りしめて、神保町で一万円の古書を買ってみたり、本屋さんで立ち読みしたり。 平日真っ昼間から、制服の中学生がフラフラしていても、ここ東京では誰も何も思わない。都心では、「外れた」存在が息をしやすい。この無関心な東京の空気が、思春期の私を見守ってくれたと思っている。 文京区には、至る所に文豪ゆかりの地がある。夏目漱石の旧家跡や森鴎外記念館。 江戸川乱歩の明智小五郎シリーズのはじまり、『D坂の殺人事件』のD坂も文京区に実在する。休みの日には、谷根千のそういう旧跡を練り歩いたり、カヤバ珈琲で大人ぶってブレンドコーヒーを飲んだ。自転車で秋葉原まで走って、歩行者天国でハルヒのコスプレで踊る女性を見て憧れたりした。(これは小6くらいか) 多くの知り合いが地元を出た。今や文京区は私にとって住めない街になった。それでも、文京区本郷で育ったことが、私に対して、文化や歴史に対しての“大切な眼”をくれた気がする。 歴史が好きだから、勉強が好きになった。 「無関心な都会が育ててくれた私」だからこそ、中国の辺境を歩けた。不登校時代、縋りついていた存在の「本」。社会に出てからは、出版社で働くことになった。 高校時代、国語の先生が「この詩人が好きで、卒論のテーマだったんだ」と力説した、とある詩がある。その時の私には、あまりピンとこなかった。 でも、いまの私には、なんとなくわかる気がする。 ふるさとは 遠きにありて 思ふもの そして悲しく うたふもの かつての地元を思うとき、私はいつもその意味を、自分自身に問い直している。
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