国禁を冒して唐を出た玄奘は各地で法を説いて資金援助を受けながら天竺への道を進んでいくのだが、現在のウイグルにあった高昌国に入国した際、国王の麴文泰は玄奘の説法と人となりに魅了され(玄奘はめちゃ人たらしだったのでイケメンでカリスマ性があったと思われる)、この国に留まって国師となり私と国民を導いてほしいと頼み込んだ。
玄奘は天竺へ求法に行くのが使命であると拒んだが、王は引かず、自ら玄奘の食事を運んだりしてほぼ賓客な監禁状態にしたが、玄奘は食を絶って抗議し、断食4日目にして衰弱する玄奘を見て王は泣きながら天竺行きを許可する。
その代わり、天竺での求法が終わったら必ずこの地に寄って3年間留まってほしい、とお願いした。玄奘はそれを快諾し、2人は義兄弟の契りを結び、王は玄奘が天竺へ安全に旅できるように人員の手配や沿道諸国への通達など、できうる限りのサポートを行った。
やがて天竺で十数年の求法と修行を終えた玄奘が約束を果たすべく高昌国へ向かおうとしたが、既に高昌国は唐によって攻め滅ぼされ、国王麴文泰も死去していた…
というこの玄奘三蔵の1エピソードですらもうドラマチックでもう語彙力が皆無であります。
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