注册并分享邀请链接,可获得视频播放与邀请奖励。

池田リリィ茜藍
@ikeda_lily
茜藍(ちぇんらん)。沖縄生まれ台湾育ちの日⇔中ダブルネイティブ。翻訳家三代目。書籍翻訳の他、知事/市長クラスの通訳担当多数。会議通訳、災害通訳、二言語司会。訳業雑感、美術や瑣末事のつぶやき多め。アート北京翻訳、上海PSA通訳、国宝展中訳、坂本龍一さん通訳など。 📨lilylilylily0922@gmail.com
加入 September 2014
1.3K 正在关注    5.7K 粉丝
「共同体」という言葉をさんざん訳してきて、その限界を感じているいま、石倉先生の本が少し前に出版され、読み進められるのが嬉しい。 私も石倉先生と同じく、韓国のr:eadで「共異体」の概念を教えてくれたイ・チャンウクさんに、たいへんお世話になった。 断続的にだけれど、自分の職能や職業倫理に照らし合わせて考えてきたテーマでもある。かつて翻訳・通訳には、文化間の「誤解」を解き、矛盾して見えるものを整合させる役割が強く期待されていたと思う。Aの文化ではこう、Bの文化ではこう、だからこの違いを埋めるために、橋を架けようみたいな。 でもとくにここ3年、それだけではないと強く感じる。 とくに植民地経験では、「相互理解」という善意そのものが、ときに危うい。 矛盾を解消するのではなく、「なぜそれが矛盾して見えるのか」をあえて残す。理解しやすい物語へ統合するのではなく、複数の記憶や立場が同時に存在している状態を壊さずに運ぶにはどうしたらいいのかを悩んできた。 ましてや「〇〇人にとって日本統治とはこういうものです」と訳者が分かりやすく説明した瞬間、その内部にある世代差、族群差、政治的立場、個人の記憶まで解像度を下げてしまう。 かつて文化翻訳が「違いを理解可能なものにする」仕事だったとすれば、いまはそこに、「理解可能にしすぎない」「矛盾を解消しない」「誰かを文化の代表者にしない」という倫理も加わってきた。 「相互理解」とは、違いをなくして同じ目的地へたどり着くことではなく、理解しきれないもの、矛盾して見えるもの、互いに異なる記憶を抱えたまま、それでも関係を結ぶことはできる。 「共同体」という言葉を数え切れないくらい訳してきて、翻訳について考えなおすこと自体が、「共異体」へ自分も近づいている。 #共異体の人類学#
显示更多
台湾有事雑感 去年、那覇で開催された琉台交流で、地元の高校生が練習でつくった沖縄の文化紹介のパワポをもとに、台湾からの視察団へ通訳したときの話。 台湾側の代表が壇上で、「台湾有事は日本有事。沖縄と台湾は運命共同体。友好関係を築き、ともに戦いましょう」といった趣旨の話をされた。 その瞬間、沖縄側の表情は少しこわばり、正面から応答しなかった。台湾側は、私の通訳がうまく伝わっていないと思ったのか、同じ話をもう一度繰り返してしまう。 「沖縄を戦争の島としてイメージづけたり、固めてはいけない」という意見を見るたびに、あの日、台湾人に向かって苦笑する沖縄の人たちの顔を思い出す。 台湾の人たちが、こうした言葉を悪気なく口にしてしまうほど、沖縄戦の記憶や、沖縄の人々が何を語り継いできたのかが、まだまだ伝わっていないのだと。 とくに沖縄のガマ(自然洞窟、鍾乳洞)の中で台湾の作家に向けて通訳をしたときに強く感じたこと。それは「台湾有事」という安全保障の言葉だけが先行し、互いの戦争の記憶や、歴史的経験があまり理解されていないということ。 沖縄で仕事をするときはとくに、琉台双方の間にある温度差も含めて、相互の複雑な歴史や記憶まで訳さなければ、「本当の意味での対話」にならない。 そんな問題意識を忘れずにやってきたつもりだけれど、その難しさを痛感することばかり。
显示更多