ある町外れの小さな食品工場で、人手不足が深刻で、イスラム教徒の外国人を雇用するプロジェクトが始まった。人間はすぐに外国人問題と呼ぶ。だが、まだ会ったこともない相手を先に問題にしてしまうことのほうが、よほど問題である。取材の日、会議室には顔を布で覆った外国人女性が数名座っていた。見えているのは瞳だけである。その中の一人、サミラという女性が、驚くほど流暢な日本語で話し始めた。
「私たちは、日本に助けてもらうためだけに来たのではありません。この業界は人が足りないと聞きました。私たちも働いて、力になりたいです」
その言葉に、工場長は何度もうなずいた。
続けて彼女は、少しだけ緊張した声で言った。
「ただ、食事には宗教上、食べられないものがあります。そこだけは配慮していただきたいです」
同席していた担当者が、安心させようとして明るく答えた。
「もちろんです。
お弁当の持ち込みもできます。
アレルギー対応と同じように考えていますから」
すると、サミラの瞳が揺れた。
「……それは、違います」
会議室の空気が止まった。
「アレルギーと宗教は、まったく別のものです。
一緒にしないでほしいです。
少し、悲しいです」
誰も言葉を返せなかった。
あたしも机の下で尻尾を止めた。担当者には悪意などなかった。むしろ親切にしたつもりだったのだ。
だがサミラは、怒っているのではなかった。見えている瞳の端に、うっすら涙が浮かんでいた。
やがて彼女は、言葉を選ぶように続けた。
「アレルギーは、食べると身体が傷つくものです。
宗教は、食べないことで自分の心と信仰を守るものです。
どちらも大切です。
でも、同じではありません」
担当者はしばらく黙った後、深く頭を下げた。
「申し訳ありません。
私は配慮するつもりで、あなたの大切なものを対応すべき不都合としてまとめてしまいました」
サミラは小さく首を振った。
「謝ってほしいのではありません。
知ってほしかっただけです」
その日の取材は、少し重たい空気を残して終わった。
しかし、一週間後、工場の食堂が変わった。
料理にはすべて原材料が表示され、調理器具も用途ごとに分けられた。
弁当の持ち込みは誰でも自由になり、静かに食事をしたい人のための小さな休憩室も用意された。
壁には工場長の手書きの紙が貼られていた。
〈違いを同じにするのではなく、違ったまま一緒に働ける場所をつくる〉
サミラたちは、そこで働き始めた。
彼女は仕事が丁寧で、包装の小さな印字ミスにも誰より早く気づいた。
新人の外国人が作業に戸惑えば日本語と母国語の両方で説明し、繁忙期には日本人従業員より先に作業場へ入った。
ある日、長年勤めている田中さんが笑って言った。
「サミラさん、本当にこの工場の力になってくれたね」
サミラも笑った。
「最初の日に、そう言いました」
昼休みになると、彼女たちは持参した香辛料の香るご飯を広げた。田中さんは梅干しのおにぎりを取り出し、少し迷ってから尋ねた。
「これは、食べられる?」
サミラは原材料表示を一緒に確かめてから、うなずいた。
「はい。食べられます」
田中さんは、おにぎりを一つ差し出した。
サミラは自分の弁当から、小さなデーツを一粒返した。
同じものを食べたわけではない。
信じるものも、育った国も違う。
それでも二人は、同じ食卓で笑っていた。
その光景を眺めながら、吾輩は思った。
人間は「みんな同じ」と言えば、仲良くなれると思いがちである。だが本当の優しさとは、違いを消すことではない。
相手が大切にしているものを、自分の知っている箱へ無理に押し込まず、その名前のまま受け止めることなのだ。
あの日、サミラが「悲しい」と言わなければ、この食堂は生まれなかった。
そして担当者が言い訳をせずに頭を下げなければ、この食卓も生まれなかっただろう。
理解とは、最初から間違えないことではない。
間違えたあと、相手の言葉を聞いて、自分の心の置き場所を少し変えることである。
宗教は持たぬが、食べ物の違いにはうるさい。
しかし、その日の食堂に漂っていた香りだけは、どこの国のものでもなかった。
あれはきっと、人間が互いを知ろうとしたときにだけ生まれる、希望の匂いであった。
🚨上記は、組織や個人を特定されないように、名前も内容も場所も大幅に変えてます🚨
显示更多