ある夜、あたしは霞が関近くで開かれた懇親会に参加していた。長いテーブルには、小さな料理と大きな政策論が並んでいる。官僚や議員、研究者たちは、少子高齢化や年金財政について数字を交わしていた。一人の官僚が自信ありげに言った。「公的年金は破綻しません。積立金もあるし、現役世代が高齢者を支える仕組みも続く。世間は少し騒ぎすぎです」そこで、あたしは尋ねた。「では、年金だけでは家賃や食費、医療費を払えない高齢者が増えることは、破綻ではないのですか」官僚は何言ってるんだ?あなたは?も言ってるような表情で、少し眉を上げた。
「そもそも年金だけに頼るのがおかしいんです。現役時代に積立や資産形成をしなかったのでしょうか。今はNISAやiDeCoもあります」
その言葉を聞き、あたしはグラスを静かに置いた。
「投資は、生活費を払ったあとに残るお金でするものですよね。でも、最初から残らない人もいるんです」
友達の母は、長年働きながら年金保険料を納めてきた。子どもの学費を払い、病気になった父を支え、最後には祖母の介護まで引き受けた。
貯金を始めるたび、給湯器が壊れた。
歯の治療が必要になった。
子どもの進学費用が重なった。
それでも家族に「お金がないから諦めて」とは言わなかった。
「その友人の母のお金は、なくなったのではありません。友人の食事や学費、祖母の介護に姿を変えたんです。それを資産形成をしなかった人の一言で片づけるのですか」
官僚は黙った。面倒な人が紛れ込んでるというような空気になった。
資産を築けなかった人の全てが、無計画だったわけではない。
低賃金で働き続けた人、病気になった人、子どもを一人で育てた人、家族の介護で仕事を減らした人もいる。
彼らは何も積み立てなかったのではない。
誰かの人生を積み立ててきたのである。
しばらくして官僚は、小さな声で尋ねた。
「では、制度はどうあるべきなのでしょう」
あたしは答えた。
「年金だけで贅沢をさせろと言っているのではありません。
真面目に生きてきた人が、老後に食事と薬のどちらかを諦めなくてよい制度にしてほしいんです」
制度を語る人は数字を見ている。
生活する人は、冷蔵庫の中を見ている。
年金問題で最初に埋めるべきなのは、財源の穴だけではない。この二つの視線の間に開いた、深い溝なのである。
🚨個人や組織が特定されないように、内容は大幅に変えてます。あの時のあの人?って思ってもそれは人違いですので、ご安心ください。
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