商店街の横断歩道近くにあるベンチで、人間を眺めていることがある。そこに、亮介という人がいた。彼はいつも速足だった。歩くのが遅い老人を見ると舌打ちし、信号が点滅すれば走って渡った。そんな彼が、母親の腕を支えて歩くようになった。母は認知症を患い、横断歩道の途中で立ち止まることがあった。「ここは、どこだったかしら」信号は点滅を始める。車が待っている。昔の亮介なら焦って腕を引いただろう。だが彼は母の手を握り、歩幅を合わせた。
「大丈夫。思い出さなくていいよ。僕が一緒にいるから」
運転手たちは黙って待った。
渡り終えると、母は亮介の顔を見上げた。
「あなた、優しい人ね」
息子であることは、もう分からなかった。
それでも亮介は笑った。
「母さんに教えてもらったんだよ」
母が亡くなった春、亮介は久しぶりに一人でその横断歩道を渡った。信号は青だったが、彼は走らなかった。
誰もいない左側に、母の歩幅一つ分の空間を空けて、ゆっくり歩いた。
あたしには見えた。
人間は大切な者を失ったあとも、完全に一人では歩かない。愛した者の速度が、その人の歩き方に残るのである。
※特定されないように、内容を実体験と大幅に変えて書いてます。
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