友人に頼まれ、夜な夜な手紙を書いたのに、当日は別の人が指名された。そんな話を聞いて、式場で働く人々から、声にならなかった言葉を聞いて回っていた頃の話を思い出した。そこで、元司会者の女性が、一人の父親について話してくれた。その父親は、息子の結婚式を半年前に控えた頃、脳梗塞で倒れた。命は助かったが、言葉がうまく出なくなった。それでも彼は、祝辞を読むために毎日練習した。
震える手で原稿を書き、言えない言葉には丸をつけた。一行読むたび息を整え、最初からやり直した。机の上には、書き損じた便箋が雪のように積もった。
式の前日、司会者の前で練習したが、一分の原稿を読むのに五分以上かかった。
親族は心配して言った。
「無理をさせなくてもいいでしょう。途中で言葉が出なくなったら、お父さんもつらいし、式の進行も止まってしまう」
翌日、父親の祝辞は進行表から外された。
彼は何も言わず、折り畳んだ原稿を胸ポケットへしまった。
披露宴では、会社の上司が立派な言葉を並べた。友人は巧みな冗談で笑いを取った。映像が流れ、音楽が鳴り、予定どおりに料理が運ばれた。
父親だけが、何度も胸ポケットの上を撫でていた。
それに気づいたのは、花嫁だった。
花嫁は席を立つと、父親の前へ膝をついた。
「お父さん。私、そのお話を聞きたいです」
会場が静かになった。はっ、何言ってるのこの嫁は?というような視線もあったという。意味不明、理解不能、そういう中で父親は困ったように司会者を見た。司会者は予定表を伏せ、一本のマイクを差し出した。
父親は原稿を開いた。
最初の言葉が出るまで、長い時間がかかった。誰も急かさなかった。
「わたしは……話すのが……遅く、なりました」
そこで一度、息を吸った。
「でも……息子が、あなたに会ってから……笑うのは、早くなりました」
花嫁の頬を涙が伝った。
父親は最後の一行を見失い、原稿から顔を上げた。
そして、自分の言葉で言った。
「娘が……増えて……うれしい」
たった四十秒の祝辞だった。
だが、その四十秒の後ろには、病室の白い天井、動かない指、言葉を失った恐怖、何百回もの練習、捨てられなかった便箋があった。
花嫁は父親の手を両手で包んだ。
「家族にしてくださって、ありがとうございます」
その時、式場にいたほぼ全員が泣いたという。
あたしは取材の最後に、元司会者へ尋ねた。
「予定を変えて、困りませんでしたか」
女性は笑った。
「結婚式は予定どおり進めるためにあるんじゃありません。これから家族になる人たちが、相手の言葉を待てるかどうかを確かめる日なんです」
人間は、流暢に話せる者の言葉ばかりを立派だと思う。
けれど本当に大切な言葉は、しばしば遅れてやって来る。
震えながら。
つまずきながら。
誰かが待ってくれることを信じながら。
祝辞は進行表から消されても、父親の胸からは消えなかった。
言葉の価値とは、壇上で読まれたかどうかではない。たった一人でも、その言葉が生まれるまで待ってくれた人がいたかどうかなのだ。
※特定されないように、内容大幅に変えてます。あの時の人ですか?となっても、それは人違いですのでご安心ください。
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