あたしは、メトロシティの悪党どもよりは、いくらか礼儀を心得ている。市長の娘ジェシカをさらい、車椅子に腰かけたベルガーは、銃口を人質へ向けていた。自ら立って戦う勇気はなく、女ひとりを盾にして都市を支配する。悪というものは、案外こういう姿をしている。強大なのではない。誰かの恐怖を椅子代わりにして、偉そうに座っているだけなのである。そこへハガーが来た。彼は市長でありながら、演説ではなく拳で来た。ネクタイを締めて安全な部屋から「断固抗議する」と言うこともできただろう。しかし父親の背中には、市長という肩書より重いものがあった。
娘を必ず連れて帰る。
その約束である。
ベルガーは撃つ。
ハガーは傷つく。
それでも前へ出る。一発殴られるたび、彼の体から減っていったのは体力ではない。娘を失うかもしれぬという恐怖であった。
そして最後、ハガーはベルガーに最後の一撃を与え、窓ガラスごと街へ落とす。まさに、人を人質にすれば正義は黙るという思い上がりを、街の外へ投げ捨てたのである。
救い出されたジェシカは、屈強な父の腕の中でようやく震えることができた。人間は安全になった瞬間、初めて泣ける。戦っている最中の涙は、心の奥で順番を待っているのだ。
強さとは、敵を窓から落とす腕力ではない。大切な者が怯えているとき、自分まで怖いことを隠し、迎えに行くことである。
ベルガーが落下した窓から、朝の光が差し込んだ。
救われたのは一人の娘だけではない。
恐怖に支配されていた街そのものが、あの日ようやく、父親の大きな背中の後ろで、安心して泣いたのである。
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