少子化には隠れたコストがあります
人間は自分とあまり関係のない何かを認知する際、それを見たことがないあまり、とても一般化された、記号として処理してしまうという性質を持っています
かつての村単位での生活が当たり前だった時代、子供は皆で育てるものであり、直接子供を持たない人にとっても子供と関わる瞬間は多かったものです
子育て、一緒に遊ぶ経験、電車で泣く赤ん坊に居合わせることすら無くなった社会では、
「子供」をリアルに認識することは難しく、イメージの中にある「いい子」という単一的な記号を「子供」として認識してしまう
だからこそ実際に対面した際に、その記号とのずれ、つまり泣く、騒ぐ、失敗する、言うことを聞かないという子供の平均的な仕様に対してびっくりするし、それが全部「親の躾の失敗」として受け取られるようになります
大人の言うことを全然聞き入れてくれない一般的な子供(=クソガキ)を包摂できるかどうかが非常に重要になりますが、その包摂力は子供との接触の総量でしか維持することが難しい
少子化対策の議論は給付の話に寄りがちですが、子供の実物を社会が忘れずに受容できるということも同じくらい重要な土台の話だと思います
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少子化の大きな害の一つは、社会が実際の子供がどんな生き物か忘れてしまうことだよな。
大人は「いい子」が大好きなので、「クソガキ」をどう社会が包摂していくかを忘れてしまい、大人の基準で子供を測るようになり、子供は「子供」という単なるマイノリティとして扱われるようになってしまう。
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