今、日本のアニメが世界で受け入れられているけど、単に絵がうまいとか、ストーリーが面白いからだけじゃない。根底に「人間とは何か」という問いがある。
そしてあらゆる作品の根底にあるのは、漫画の神様の手塚治虫だと思う。
手塚治虫は「人間とは何か」というテーマを戦後日本の漫画に埋め込んだ。
特に「火の鳥」はまさに、人間が永遠を求め、権力を求め、若さを求め、支配を求め、科学が生命を超えようとしても、それでも最後は魂の問題に戻ってくる物語だった。
これはAI時代、デジタル管理社会時代において物凄く重要だと思う。
AI実装社会は人間を効率や数字で推し量るけど、手塚の漫画は人間を魂として見て、失敗する存在として見る。醜くても救いを求める存在として見る。
だから日本の漫画アニメ文化は強いのだと思う。
しかもそれは、戦後の日本で、表現の自由があるからこそ育った。
戦争、死、生、差別、孤独、狂気、後悔、救済、こういう危ないテーマを、漫画という形で描いた。
手塚から始まって、藤子不二雄、宮崎駿、富野由悠季、荒木飛呂彦、井上雄彦、岸本斉史、諫山創、吾峠呼世晴、全部どこか「人間とは何か」を描いている。
ここで思うのが、日本の漫画文化の強さは、「国家が作った思想ではなく、個人が自由に人間を描いてきた」ことにある。
手塚の「火の鳥」は、人間を血統や役割や国家の部品として描いていない。人間を、業を背負い、間違え、後悔し、傷つき、それでも魂として生き直す存在として描いている。
一方で、国家が思想を決める社会では、人間は役割に還元される。そしてAI管理社会では、人間をデータにする。どちらも人間を魂として見ていない。
人間とは何かを、国家やAIに決めさせてはいけない。それを個人が問い続けられる自由がなければ、人間は大事なその「何か」を失ってしまう。
人間は答えを与えられることによって、その「何か」を得るのではなく、問い続ける自由の中で、少しずつそれに触れていくのだと思う。
手塚が「火の鳥」で描いたこの1枚のカットには、その思想が凝縮されているように思う。
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