「人間関係の悩みは、実は自分も構造を維持する要因になっていることがある」
人は、
壊れる前に動けなくなるとは、限らない。
むしろ、本当に限界が近い人ほど、
いつも通りに振る舞おうとすることがある。
笑う。
気を遣う。
仕事に行く。
子どもの準備をする。
相手の話を聞く。
空気を壊さないようにする。
だから周りには、
「まだ大丈夫そう」に見える。
けれど本人の中では、
かなり前から限界を超えていることも少なくない。
臨床では、
家族を「個人の集まり」ではなく、
ひとつのシステムとして見ることがある。
たとえば、
ひとりの子どもが不登校になったとしても、
「その子に問題がある」
と単純には考えない。
その子が、
家族全体の緊張や無理、
言葉にならない苦しさを、
身体や行動で表していることがあるから。
つまり、
“症状を出した人”だけを見るのではなく、
その背景にある関係性や構造を見る。
これは、
家族だけではなく、
職場や夫婦、
さまざまな関係の中でも起きている。
いつも明るい人。
空気を回す人。
責任感が強い人。
頼られる人。
そういう人が、
システム全体の緊張を、
引き受けていることがある。
幼い頃から、
「ここで自分が崩れたらまずい」
という空気の中で育った人は、
なおさらそうなりやすいかもしれない。
誰かの不安定さを見続けた人。
場が壊れないように、
無意識に調整役になってきた人。
そういう人は、
役割を降りること自体に、
強い不安が出ることが多いだろう。
皮肉なことに、
役割を担える人ほど、
周囲からは「安定している人」に見えやすい。
当人も、役割期待に応える自分が、自分の知っている自分であれば、なおさら、役割を担わない自分に気づけなかったり。
家族の調整役だった人。
感情の強い人のそばで空気を読んできた人。
弱音を吐く前に、
周囲を優先することを覚えた人。
あるいは、
職場で頼られる側になった人。
支える役になった人。
「あなたがいると助かる」と言われ続けてきた人。
そういう人は、
自分が止まったときの、
周囲の顔が先に浮かぶ。
困る家族の顔。
困る子どもの顔。
困る後輩の顔。
困る上司の顔。
だから、
止まれない。
「自分が止まったら、回らなくなる」
が、まず来る。
そして、
そういう人ほど、
本当に限界が来ても、
ぎりぎりまで動けてしまう。
だから周囲も気づきにくい。
本人も、
「まだやれているから大丈夫」
システムから抜けるには、
勇気がいる。選択肢にすら無いこともよくある。
システムの中にいる自分には気づきづらい。
自分が抜けたら、
崩れる気がする。
けれど
「自分が少し手を離しても、
この人は、この人なりに考え始めるかもしれない」
と、
他者の主体を信じてみること。
誰かひとりが、
無理を続けることで保たれる関係ではなく、
それぞれが、
少しずつ自分の足で立てる関係へ。
システムから抜けることは、
見捨てることではなく、
抱え続けていたものを、
少しずつ、
それぞれの手に返していくこと
そういう考えもあると、知ってみるのは
どうだろう。
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