いまのwebメディアの状況って、現代の人間社会の構図をそのまま映し出しているようにも感じます。
たとえば新聞や雑誌に掲載されている1本1本の記事単独では商品価値はあまりなくて、それが1つの媒体に編まれていることで全体として価値をもちますよね。
1つ1つは無力だけど組み合わせられることで1+1以上の価値が発揮される。人間社会も同じですよね。
そういうメンバーシップの一部として、私の立ち位置から見えることを、私の持ち場で起きていることを、書く。
いろいろな立場や持ち場から書かれたものと合わさって、複雑で多面的な世の中のいまを描き、伝える。
それがメディアであり、私の中での「書く」であって、自分の世界の中だけで特定の顧客に向かってものを書くというモチベーションがあんまり湧かないんですよね。
だからletterやnoteで書くというのは、活字職人としての私のなかの「書く」意味とは違う。
web化が進んでから、記事が1本1本のPVで評価されるようになって、強い記事、弱い記事と分類されて、弱い記事は居場所がなくなってしまった。
しかもほとんどのweb媒体は広告モデルだから、熊とか不倫とか、PVを稼ぎやすい記事ばかりになっていく。
しかも、記事を読む途中で何度も広告に邪魔される。「閉じる」ボタンを探すのがモグラ叩きゲームみたいでイライラする。
これじゃ、ストレスなくスムーズに読める文章を職人として書くことに力を割いても意味がない。
早かろう安かろうになっていく。
そうなることは見えていたから、ささやかな抵抗として、web媒体では、特に狙いもなくただ定期的に原稿を提出する約束をするだけの名ばかりの「連載」企画(読者は連載としては認識せずにただ消費されて終わる)はお断りしていたし、書籍からの抜粋記事を無料で提供するのもお断りしてきました。
一時期web媒体に書くモチベーションを失っていましたが、webメディアであったとしても、全体のポートフォリオをデザインされたメディアで、広告が出てこない有料会員限定の記事を書けばいいんだと、最近は思うようになってきました。
昔、新聞や雑誌を電車の網棚に置いて、有料媒体であっても社会的にシェアしていたのと同様に、気に入ったwebの有料記事を無料でシェアできる機能(朝日新聞の「プレゼント機能」みたいな)はほしいけどね。
プレゼントというとなんか恩着せがましいから「網棚置き機能」とかのほうが好きだけど。
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もうネットメディアで記事読むのって無理なんだよね。
気になる記事があってメディアに飛んでも、広告を飛ばすのが、もはや難解なゲーム。
間違ってタップしてしまうことによってメディアが儲かる仕組み。
こんな仕組みで儲けてるネットメディアはメディアとしての矜持がなさすぎる。
記事を読みたい読者の邪魔をすることで課金される仕組みを容認してる。
なにより頑張って書いた書き手に失礼。
お前らメディアは書き手と読者をいかに繋ぐかを考える存在だろ。
活字メディアの思考停止を見ると、本来のポリシーを忘れ手っ取り早く小銭を集めることに逃げ衰退すべくして衰退してる。
活字が生き残るには有料課金。
動画で、記事や本に課金してくれる読者を育てること。
クソ広告を貼り付けてるネットメディアは恥を知りなさい。
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