【宮内庁に確認しました】
高市総理が持ち出した「かつては32親等離れた養子もあった」という前例。
宮内庁に直接確認したところ、該当するのは「2例」。
しかし、調べてみると、どちらも
・「旧皇室典範」制定前の事例で、制定後はこうした養子縁組が廃止された
・今回焦点となっている「皇位継承権」とは直接関係のない養子縁組だった
というものだった。養子縁組を禁じたのは「旧皇室典範」以降なのに、なぜそれ以前の事例を出してきたのか疑問だ。
皇室典範改正案の養子制度の正当性を強調するため、としたら意味がない。
私はむしろ、「旧皇室典範」が養子制度を廃止したのは、こうした養子縁組によって皇統に混乱が生じることを防ぐためだったのでは、と考える。
やはり、「旧皇室典範」でも認めてこなかった「養子縁組の復活」はリスクが伴う。
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今日の予算委員会。
立憲民主党の蓮舫議員による高市総理への質疑は見応えがあった。
蓮舫議員「38親等離れた遠い遠い親戚の男子を見つけて養子にして、その子に皇位継承権を渡すのであれば、陛下の1親等、直系長子であられる内親王殿下への皇位継承を認めることこそ、憲法に規定する世襲の原則に沿うものではないでしょうか。
38親等より1親等の方が、世襲原則、憲法に沿っていて、国民の理解と支持が得られると私たちは考えていますがいかがでしょうか。」
高市総理「例えば過去にですね、第122代、明治天皇の御代でございますが、天皇と32親等の隔たりのある皇族たる男系男子が養子になられた例があるものと承知をいたしております。」
高市総理はあえてこの例を持ち出し、「遠い親等からの養子も不自然ではない」と言いたかったのだろうか。
しかし、明治22年に制定された「旧皇室典範」は、養子縁組を禁じている。
では、高市総理の言う「32親等離れた養子」とは、いったい何なのか。
宮内庁に確認したところ、高市総理が挙げたのは、以下の2例だという。
①明治7年
山階宮晃親王の王子である菊麿王(明治天皇から32親等離れた皇族男子)を梨本宮守修親王の養子とし、梨本宮家を相続させた。
▶目的は宮家の存続だったが、皇族の範囲を規定する「旧皇室典範」が制定され、こうした養子縁組は廃止された。
②明治16年
華頂宮博経親王の王子である博厚王(明治天皇から32親等離れた皇族男子)を明治天皇の養子とし、「親王宣下」を行い、華頂宮博厚親王とした。
▶これは手続き上のものであり、親王を定める規定が「旧皇室典範」に別途設けられたため、以後、天皇との養子縁組を伴う「親王宣下」は廃止された。
※「旧皇室典範」制定前には、その他にも宮家同士の養子縁組は行われていたが、親等はもっと近かった。
つまり、①②ともに、明治22年の「旧皇室典範」制定後には廃止された「養子縁組」の例なのである。
そして、重要なのはここだ。
なぜ、養子縁組は廃止されたのか。
伊藤博文・初代内閣総理大臣は、『皇室典範義解』でこう述べている。
「養子を為すことを禁ずるは、宗系紊乱(ぶんらん)の門を塞(ふさ)ぐなり」(『皇室典範義解』(明治22年))
こうした養子縁組によって皇統に混乱が生じることを防ぐ、という趣旨だったと考えられる。
これを受けて5年前、皇位継承問題に関する有識者ヒアリングでも、次のような意見が出されている。
「(上記・伊藤博文の)趣旨は、現在の皇室典範9条にも流れている」
「世襲という人の行為が入り込む余地のない原則で皇位継承を定めようとしているところに人為的な親子関係が入り込んでくるとき、様々な人の思惑などが入り、家同志の争いなどを反映して継承順位や皇統の正当性に争いが生じる種になる」(岡部喜代子・元最高裁判事、令和3年5月10日)
問われたのは、「32親等離れた養子の前例があるか」ではない。
「38親等離れた男子と1親等の女性。どちらが『国民の理解と支持』を得られるのか」という問いだ。
しかも、高市総理が持ち出した2つの前例は、いずれも今回焦点となっている皇位継承権とは直接関係のない養子縁組だった。
蓮舫議員の問いに正面から答えず、すでに廃止された制度の「32親等」という数字だけを持ち出して、議論を横道にそらしたのではないか。
「32親等の前例」を持ち出すなら、その前例が「なぜ廃止されたのか」まで説明するのが、誠実な答弁ではないか。
高市首相、養子批判に「32親等の例がある」 会期は25日まで延長(朝日新聞)
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