【日本が生んだ史上最高のエンターテインメント作家先生への限りない感謝】
みなさんが続々とポストされていたお気持ちと同じように、昨日の夕方、東野圭吾先生の訃報が飛び込んできたときには流水も絶句し、放心状態になりました。
決して埋めることのできない、この巨大すぎる喪失感は、いまも続いています。
もうすぐガリレオの新刊が出ることを知っていただけに、まさか……という思いでした。
清涼院流水が本当に大きな影響を受けた作家先生として、10人ぐらいの大先輩の方々がすぐに浮かぶのですが、東野先生は、その中のおひとりです。
国民的人気作家としてずっと第一線でご活躍されてきた東野先生の功績については、改めて確認するまでもないでしょう。
テレビのニュース番組のトップで報じられるほど、偉大な存在です。
いまだ混乱する自分の気持ちを整理する意味でも、この文章では、東野先生に関しての忘れられないエピソードを、いくつか書かせていただこうと思います。
東野先生の著作は京大ミステリ研究会でも当然ながらよく話題になり、また周囲にファンが多かったことから、流水もデビュー前の習作時代から拝読し、いろんなタイプの作品から勉強させていただいていました。
ですが、東野先生のことを決定的に意識するようになったのは、講談社ノベルスの編集長でメフィスト賞を創設された故・宇山日出臣さんとの会話が影響しています。
あれは、流水がデビューした直後、宇山さんとお食事していた際のことです。
ハタチそこそこの若造に特有の青臭い創作論を熱く語りまくる流水の様子を嬉しそうにニコニコして見つめてくださりながら、宇山さんは、おっしゃいました。
「流水さんが理想とするその自由なエンターテインメントをすでに実現させつつあるのが、東野さんだと思うよ。
しかも、東野さんのやり方は洗練されている」
その一例として宇山さんが挙げられたのが、当時、講談社ノベルスから刊行されて間もなかった名作「どちらかが彼女を殺した」で、なるほど、と納得したものです。
解決編がついていないが、読者が自分で推理できるようにつくられている、という趣向の斬新な作品でした(文庫版には解決編もあり)。
以前、別のポストでご紹介した以下のお話を伺ったのも、同じときでした。
「東野さんはね、毎回、自分がぜんぜん知らない題材に挑むんだよね。
新しい分野を調べるのは大変だと思うけど、そのおかげで、どんどん引き出しが増えている」
[参考] 創作者が自分の幅を意識して広げる必要性
そうして多彩な作風を経た末に東野先生が辿りつかれたのが、「秘密」での大ブレイクでした。
「秘密」を拝読した際には、「うわー、東野先生独自のエンターテインメントが、ついに完成した!」と感じたものです。
それ以後の東野先生作品は、もはや模索ではなく、エンターテインメント作家先生の王者として、ひたすら走り続けることとなったのです。
宇山さんは、同じお食事の席で、こうもおっしゃっていました。
「東野さんのファンは、作家の実力を信頼しているから、『東野圭吾』の名前がついていたら、どんなジャンルでも迷わず買うんだよ。
流水さんも、そういう作家にならなきゃね」
そのときのお話があればこそ、流水はこの30年、いろんなジャンルの本にトライしてこられたと思っています。
そんな流水がたった一度だけ、「東野先生っぽいことをしよう」と意識してトライしたことがあります。
それは、いまでも流水作品のべストに挙げてくださる方が少なくない、2005年に発表した「ぶらんでぃっしゅ?」という作品です。
流水自身、初のハードカバーでの書き下ろしということで気合いが入り、そのときにお手本としたのが東野先生の作品でした。
「ぶらんでぃっしゅ?」を出したあと、読者の方から「東野圭吾先生のようなことをやろうとしたのかな」というご感想をいただけたときには、意図が伝わったことが嬉しかったものです。
ただ、その方向性は、自分にはうまくできないことがわかったので、東野先生に意識して寄せた作品は、それが最初で最後のケースとなりました。
東野先生の傑作群の中で、流水がダントツいちばん好きなのは、定番ですが、「白夜行」です。
帯に北方謙三先生と京極夏彦先生の推薦文が並んでいたのを書店で見たときの興奮は、そのときの書店の風景も含めて、きのうのことのように思い出せます。
ハードボイルドとしても本格ミステリとしても最高の自信作を書いた、という東野先生の自負が読むまえから伝わってきました。
読んでいる最中の没入感がハンパない、あの至福の読書体験は忘れられません。
続編の「幻夜」も夢中になって読み、とても好きな作品のひとつです。
「白夜行」の文庫版解説で馳星周先生が指摘されていた、東野先生のハングリー精神のルーツにも、はっとさせられて、いまでもよくそのことを思い出します。
これまで41の国と地域で刊行されている東野先生の作品を、流水が英語で読んだのは「容疑者Xの献身」だけですが、「普遍的な物語は、どんな言語でも面白い」と確認できる貴重な機会となりました。
そして、みなさんがあまり挙げなそうな、個人的に特別な愛着のある一作は、2001年に刊行された「超・殺人事件 推理作家の苦悩」です。
なぜなら、この傑作短編集に収録されている「超長編小説殺人事件」は、東野先生が清涼院流水を連想させる作家を題材に徹底的に遊び尽くしてくださった作品で、そのことがとても光栄で、嬉しかったからです。
また、東野先生が編集者経由で「メフィスト賞作家はモーニング娘。だ!」という素敵なお言葉をくださったことも、強く記憶に残っています(個性的なメンバーが次々に加入、というニュアンスでした)。
故・宇山さんも、講談社時代からお世話になっている太田克史さん(現在、星海社の社長さん)も東野先生のことが大好きだったので、多くの勉強になる逸話を教えていただきました。
Xで書けない話が多いですが、善い影響をいただいたそれらのすべてに感謝しています。
東野圭吾先生が日本が生んだ史上最高のエンターテインメント作家先生であることについて、だれからも異論は出ないでしょう。
かつて「超長編小説殺人事件」で清涼院流水で遊んでくださった東野先生に、いつか正攻法のミステリでも認めていただくことを実は密かに目標にしていたのですが、かなわぬ願いとなったことが悲しく、たいへん残念です。
カトリック教会では、毎週のミサの中で、亡くなられた方たちのためにお祈りする時間があります。
今後は流水が生きている限り、感謝を込めて、東野先生のことを毎週お祈りいたします。
東野先生、40年以上にわたり出版界の先頭を走り続けてくださったご執筆活動、おつかれさまでした!
限りない感謝を込めて、本当に、ありがとうございました!
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