MAJに対して批判的な意見も見かける。これは多分、誰が正しいかという話ではなく、見えている景色の違いなんだと思う。
アワードという仕組みは、本質的に不完全だ。なぜなら、文化は数値化しきれないから。
売上、再生数、動員、影響力、革新性、時代性、コミュニティの熱量。評価軸が複数ある時点で、全員が納得するランキングは成立しない。
でも、それでも人はアワードを作り続ける。
結局人間は、時代の空気を共有したい生き物だから、「今どこに熱量が集まっているのか」を確認したくなるんだと思う。
誰が支持されているのか。
どんな表現が今の空気を映しているのか。
どこに新しい価値観が生まれているのか。
つまりアワードは、絶対的な答えを決める場というより、「現在地」を共有する場に近い。
もちろん、批評は必要だし、むしろ健全だと思う。多様な視点があるからこそ、文化は更新されていく。
ただ一方で、現場には現場の熱量があった。
演者だけじゃなく、制作、技術、進行、配信、運営、それぞれが自分の役割を成立させようとしていた。その積み重ねで、ひとつの空間が作られていた。
だから自分は、まずその事実に敬意を持ちたい。
あと、これは音楽業界に限らないけど、本当に構造を変えていく人って、批評を続けながらも、途中から「内側で変化を起こす側」に回っていくことが多い気がしている。
影響力も、発言力も、信用も、基本的には積み上げでしか増えない。
だから自分も、まずは自分の役割をちゃんと果たしたい。
世界は、正論だけでは変わらない。誰かが現場で積み上げた試行錯誤によって、少しずつ更新されていくものなんだと思う。
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maj2026#