小判鮫 高市早苗
小判鮫は、大きな魚に吸い付いて生きる。自ら大型魚のような力を持っているわけではなく、寄り添う相手の力を利用することで生存する。政治家に置き換えれば、どれほど大きな声で政治的主張を叫び、強い言葉を発していても、その背後に庇護してくれるパトロンが存在すれば、政治家としての地位を維持することはできる。しかし、問題はそのパトロンがいなくなったときである。
高市早苗の政治人生を振り返ると、森喜朗、清和会、小泉純一郎、そして安倍晋三という、それぞれの時代に大きな政治的力を持った人物や勢力との関係が浮かび上がる。森喜朗の時代には清和会という政治基盤に入り、小泉政権の郵政選挙では政治的復活を果たし、安倍晋三の時代には重要閣僚や党の要職を経験し、安倍氏の強力な支援を受けて「安倍政治の継承者」という政治的地位を築いた。
そして現在、その視線の先にいるのがトランプ大統領である。
もちろん、首相が米国大統領との関係を強化すること自体は外交上当然であり、それだけをもって「トランプに吸い付いている」と断定することはできない。しかし、これまでの政治人生と現在の対米姿勢を一つの流れとして見るなら、そこに「その時々の巨大な政治権力に寄り添い、その力を自らの政治的基盤に取り込む」という一貫した政治スタイルを見ることもできる。
大きな声で叫ぶことはできる。強い言葉を発することもできる。しかし、その声を政治的な力に変えるためには、背後に庇護してくれる大きな存在が必要なのではないか。森喜朗、そして安倍晋三という後ろ盾を失った現在、高市氏がトランプ大統領との関係を強く打ち出している姿を見れば、「次のパトロンを求めているのではないか」という批判が生まれるのも理解できる。
小判鮫にとって重要なのは、自分がどれだけ大きな声を出せるかではない。自分を乗せてくれる大型魚がいるかどうかである。そして大型魚がいなくなれば、次の大型魚を探さなければならない。
だからこそ、政治家として本当に問われるのは、誰に寄り添っているかではなく、その誰かがいなくなったとき、自分自身の力だけで政治を動かせるのかということだ。
庇護してくれるパトロンがいる限り、どれほど大きな声で喚いても政治家として生き残れる。しかし、自分自身の政治的基盤を持たないのであれば、パトロンを失った瞬間に、その力も失われる。
もしそれでもなお、次の巨大な存在に吸い付くことで生き残ろうとするのであれば、それは政治的自立とは呼べない。
森から安倍へ、そして今はトランプへ。
この軌跡をどう評価するかは、それを読む者に委ねられている。しかし、「小判鮫政治家」という言葉が投げかけている問いは一つである。
「あなた自身の力は、どこにあるのか。」
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