悲願とは2年間だけの悲願なのか?
高市早苗の消費税政策は本当に「悲願」だったのか
高市早苗氏は2026年1月、食料品の消費税ゼロについて「私自身の悲願でもありました」と語った。しかし、過去の本人の発言を確認すると、現在の姿とは異なる消費税観が見えてくる。
2011年12月、高市氏は「税率アップにはご批判もありましょうが、社会保障制度の継続性と負担の公平性を考えると、間接税を財源として重視する方が良いと判断しています」と記していた。
さらに2016年11月には、「その税率の引き上げは必要なものだと認識をしています」と明言し、10%への引き上げについても「引き上げが確実に実施できる環境を整えてまいりたい」と述べている。
つまり、高市氏は少なくとも2011年から2016年にかけて、消費税を社会保障を支える重要な財源として評価し、10%への引き上げも必要だと認識していたのである。
その後、2022年にはNHK「日曜討論」で、消費税の使途について「年金、医療、介護、子育ての社会保障に限定されて使われます」と説明し、「消費税は残しておくべき」と主張した。
ところが2025年5月には食料品の消費税0%を主張し、2026年1月にはそれを「私自身の悲願」と表現した。
問題は、減税を主張すること自体ではない。政策を変更することは政治家として当然あり得る。問題なのは、過去には消費税率の引き上げを「必要」としていた政策を、現在になって「私自身の悲願」と表現していることである。
少なくとも確認できる本人の原文を見る限り、「食料品の消費税ゼロが長年の悲願だった」という経歴を裏付ける発言よりも、過去に消費税の引き上げを必要としていた発言の方が明確に残っている。
だからこそ、「悲願」という言葉がいつ、どのような経緯で登場したのかは、さらに検証する必要がある。
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