このニコニコ動画の視聴者コメント、確認したところ予想どおり、私について「不快だ」と述べる書き込みがありましたね。おそらく【著しく不快で嫌悪を催した】という人は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。私はその方々の不快感、嫌悪感を、真剣なものであると考え、尊重します。
法の問題でなく人情の問題としては、私のような嫌悪されるべき人物がこのような場で発言をしたことについて、
【多くの人に不快な思いをさせ、嫌悪を催すような話しぶりをして、申し訳ない】
と、心から申し訳なく思っております。
しかし、人情の問題でなく法の問題としては、まさにここに今回の法案の危うさがあります。
現在の案のまま国旗損壊罪を通過させた場合、法が厳に慎んできた、【誰かを不快にさせたら有罪】という思考に道を開くことになります。
今はまだ「国旗を用いた表現」の話に議論が限定されていますが、ここでこの案がそのまま通ることになると、
【誰かから不快がられたり嫌悪されたりしたら犯罪に問われる】という思考に道を開くことになります。ここに道が開かれてしまうと、近代以降の社会が共有してきた「法の思考」が根底から崩れてしまいます。
現在の法思考では、「嫌われて仲間外れにされることは現実社会の中では日常茶飯事だが、少なくとも、人から嫌われたことによって警察から身柄を抑えられ、国家から犯罪とされ処罰されることは、ない」という線引きが、法の側にあります。
しかし、現在の国旗損壊罪の構成要件がそのまま法令化されることになると、法の思考の基本ロジックが、
A「誰かから嫌われたらオシマイという現実に法(刑法)は加担しない」、というロジックから、
B「誰かから嫌われたらオシマイという現実に法(刑法)が加担する」、というロジックへと変容することになり、
ここを【蟻の一穴】として、今後もこの「B」のロジックに乗った法律ができてくる可能性があります。
これは「人権」の保障を多数者のノリや空気とは別の足場から保障することを国家の基本ルールとしている「立憲主義」を、根底から掘り崩す方向となります。
そのため、憲法研究者としては、発言しなくてはならない場面でした。
私は、多くの方々から、年齢、性別、容ぼう、話しぶり、声質、そして発言内容など、あらゆる点で「不快だ」「嫌悪を催す」と言われていることを重々承知しておりますが、そのような「嫌われ役専門」の生き方をしてきた人間だからこそ、「人を不快にさせたら犯罪」というロジックを持つ法令が通過することに、警鐘を発する資格と社会的役割があると考えています。
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