国旗損壊罪の問題については、「実際に警察によって適用されることはないだろう」との見方に同意した上で、「萎縮効果とシンボルの政治」の観点から考察することもできます。
実際に警察によって適用されることはほとんどなかった刑罰法規が、「これは犯罪です」という宣告効果によって、深刻な差別助長効果とプライバシー否定効果を持ってしまい、「憎悪の許可」効果によってヘイト暴力も引き起こしてきた具体例として、21世紀初頭までアメリカのいくつかの州に存在していた「ソドミー法」があります。
この法律が実際に警察によって適用された例はほとんどありませんでしたが、これが存在したことの負の効果は深刻なものだったことが、数々の判例や研究から、読み取れます。
(アメリカでは、2003年、連邦最高裁がこの法規を憲法違反と判断しました。)
この例は「表現の自由」の事例ではないので、「萎縮効果論」を使って考察することは「問題系違い」と言われそうですが、
いわゆる「クローゼット」の中でしか自分らしい生活ができない状態とか、正当な権利行使ができない心理状態、いつなんどき「嫌がらせ通報」によって警察から私生活を監視されることになるかわからないという潜在的な圧迫感、などなどは、生身の人間に本質的な「萎縮」を強いるものだった、と言うことができるのではないかと思います。
つまり、狭義の「萎縮効果論」は「表現の自由」限定の理論と言えますが、広義の「萎縮効果論」というものも成り立つのではないか。と思うわけです。
「実際に適用されることのなさそうな刑罰法令が、法令として存在すること自体で発揮する社会的作用の問題」を考えるにあたって、
これらの問題を、そういう広義の「萎縮効果」によって通分し、「歴史に学ぶ」視点から参照してみることは、(裁判実務的な先例参照可能性とは別の、学術的な参照可能性として)意味があるのではないか、と思っています。
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