「つらい経験をした人は優しくなれる」という言葉、半分は違うと思っている。
痛みそのものに、人を優しくする力なんてない。
傷ついた人が「自分もされたんだから」と他人を傷つけることもあるし、疑い深くなることも、冷たくなることもある。むしろそれは、人間としてかなり自然な反応だと思う。
だから、つらい経験をしたのに優しい人を見ると、その人の過去ではなく、その後にしてきた無数の選択を想像する。
「自分がされたから、他人にもしていい」ではなく、
「自分がされたから、他人にはしない」を選んできた。
裏切られたから疑う、ではなく、
裏切られる可能性を知った上で、それでも信じる余地を残してきた。
自分の痛みを、他人を傷つけるための免罪符にしなかった。
たぶん「痛みを引き受ける」って、そういうことなんだと思う。
過去を許すことでも、傷が消えることでもない。
自分が受けた傷を、自分のところで食い止めること。
考えてみれば、優しさって「傷ついたことがない人の無邪気さ」より、「人は残酷になれる」と知った人が、それでも残酷にならないと決め続けることの方に、より強く現れるのかもしれない。
だから本当に優しい人の優しさには、ときどき妙な重みがある。
世界を美しいと信じているから優しいんじゃない。
世界がそれほど美しくないことを知ったあとで、それでも自分まで世界を醜くする側には回らないと決めているから、優しいんだと思う。
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