「ウシジマくん」のほうが批評性があるとはどうしても思えなくて、なのになぜこうも「みい山」は許されずウシジマは許されるのかと考えてみた。というのも自分の感覚だと、露悪の度合いはウシジマのほうが高い。「みい山」は露悪というより「不器用に描かれた現実」に見える。自分はみいちゃんを醜悪だと感じない。だってああいう人いるでしょ。醜悪なの周囲の人でしょ。よくある話でしょ──と、問題はたぶんそこにある。ウシジマは逆に虚構性が高く、読者との距離が遠い。そのことが安全弁として働く。なんていうか彼らはちゃんと舞台の上にいる。ウシジマは賢明で、炎上せず、楽しくダークツーリズムを提供する。その点においてこそ、あの金貸しの話は邪悪だと思っている。「みい山」はそうじゃない。誤解を恐れずに言うなら、いや誤解をかなり恐れつつ言うなら、「みい山」はその文学性ゆえに──もう少し慎重に限定して言うなら、虚構性が低すぎたがゆえに、お茶の間に流すかどうかで揉めたのではないか。
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