みい山が《支援がどうこう》の次元よりもいつも深く描くのはこういうシーン。ガチで思い込みのつよいチー牛キャラのシゲオすら、自己認識を経てここまで悟ってしまい、いわばこの作品の《上がり枠》に到達してる。この作品はずっとメタ認知の、境界線の、自己認識のある無しを描いてる。
《俺は俺の想像したあの子のことを好きだった》確かに好きという気持ちは皆そうなんやけど、それを受け入れられるやつどれだけいる?w
そしてそれでもええねん。自分の中のあのコが好き、それがすりきり一杯好きの正体なんやから。
それがシゲオにとっての《現実が見えてきた》やねん。
それを素直に認められたならばむしろ好きという気持ちに自信を持ってええんや。自分のしたいことをしても自然と他人ともバランスが取れてくる。
包丁持ってキャバに突撃するくらいのカスキャラだったのに、最後のシーンでちゃんと自分の気持ちを見つめ、さらに他人の気持ちも蔑ろにしない姿勢のシゲオを描いた意味は大きい。
シゲオはバチェラー三百回見ても到達しない精神的に境界線が成熟したバランスに居ます。ご立派w
顯示更多