『群像』9月号掲載の加藤典洋氏の未刊行論考を一読した。石原は加藤氏(石原の着任前に明学を転出されていたので同僚にはならなかった)から厳しい批判の対象となっているシカゴ・コーネル系の日本研究グループとも個人的におつきあいがあるが、正直なところ、本件論争は時間が経過しすぎて当事者の多くが逝去されており、学術的なジャッジに至るのは困難という印象だ。
ただ、加藤氏の議論にかかわって一点だけ明言できるのは、(ポスト)コロニアルな状況を考えるのはもちろん重要だけれども、そうした状況についても国民国家の存在を前提とせねば対処できない課題があまりにも多いこと、これが四半世紀かけて人文社会科学が学んだ教訓ではないだろうか。
米軍基地の沖縄島への異様なまでの偏在はもちろん、台湾有事に際しての先島諸島の避難(疎開)計画にせよ、そして硫黄島民がなんと82年も帰郷できないことも、日本に住む国民・市民が自由民主体制の一員としての安全保障上のメリットを受ける代わりに、その負担を一部の地域や人びとに偏って担わせており、そこには(ポスト)コロニアル状況も介在している。
だからこそ、一見逆説的だが、「健全なナショナリズム」は当然必要だというのが、『現代思想』7月号の拙論【前線を切り捨てない健全なナショナリズムと安全保障―新しい日本の「リベラル」のために】(↓)で問うたことです。未読の方はぜひ読んでいただきたい。
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