今日の参考人質疑で意見陳述をしてくださった福井事件の被害者ご遺族(実姉)の大橋宏子さん。
ご自身がおっしゃったとおり軽度の知的障がいをお持ちです。
また、足腰が弱く、長距離の移動には困難が伴います。
それでも、自分の思いを伝えるために、福井から遠路はるばる国会議事堂までおいでくださいました。
彼女を献身的にサポートしたのは、自宅から永田町まで送迎してくれた福井の地元メディアの記者さんと、「冤罪犠牲者の会」と「ノーモア!えん罪プロジェクト」実行委員会でいずれも事務局を務めるノジマミカさんでした。
お二人の渾身のサポートがなければ、この歴史的な意見陳述は実現しませんでした。
また、参考人質疑が終わって疲れ果てた大橋さんを気遣い、議員会館のご自分のお部屋で休憩するようにとおっしゃってくれたのは、この事件の地元、福井選出の稲田朋美議員でした。
今日の日を忘れないために、大橋さんの意見陳述原稿を、以下に全文紹介します。
ぜひ、お読みください。
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こんにちは。私は大橋宏子といいます。
福井女子中学生さつがい事件のひがいしゃ、高橋智子の姉です。
私にはけいどの知的障がいがあります。
小さいころにカイダンからテンラクし、そのコウイショウもあり、
うまく考えをまとめてしゃべることがニガテです。
でも、妹の事件で、犯人とされてケイムショでフクエキした
前川彰司さんが、実はムジツだったことがわかってから、
心の中に、いろいろな気持ちがわいてきました。
事件のこと、妹のこと、両親のこと、警察やケンサツのこと、
前川さんのこと、たくさんあって、ちゃんと話せるかシンパイですが、心の中にある思いを、どうしても国会議員や多くの人たちに伝えたいと思い、ここに来ました。
妹の智子は、今から40年前に15歳で命を奪われました。
私は当時18歳でした。今は58歳になります。
事件よりも前に、父と母はリコンしており、
妹は母と暮らしていました。私は父に引き取られましたが、
父が酒によって私にボウリョクをふるうことがあり、
私は父の家と母の家を行ったり来たりしていましたが、
事件のときは父のところで暮らしていました。
当時、妹とはあまり話をしなくなっていましたが、
小さい子どもだったころはよく一緒に遊びました。
先週、子どものころに二人で一緒に遊んだバショに行くキカイがあり、妹のことをなつかしく思い出しました。
妹の中学のそつぎょうアルバムも見ました。
妹が卓球部でかつやくしていたことも思い出しました。
妹は頭がよく、しっかりしており、私と違って母親からも頼りにされていたほどです。
友達もたくさんいました。私には知的障がいがあり、
学校では、からかわれたりいじめられたりしたので、
あまり友だちはいませんでした。
でも、妹は私のことをバカにしたりはせず、
「おねえちゃん」としたってくれていました。
先ほども申し上げたとおり、妹が殺されたとき、
私と父は別のところに住んでいましたが、
母親は、仕事からきたくして、誰よりも先に、
娘のむごたらしい姿を見てしまったのです。
そのショックは、とても言葉にはできないものだったと思います。
事件のあと、父も私も警察からジジョウチョウシュを受けました。特に、父は智子にセイメイホケンを掛けていたので、犯人と疑われて、きびしいとりしらべを受けていたようです。
私は、「ジケンの日は宏子と一緒に家にいた」と警察にちゃんと言ってほしいと父からたのまれたことを覚えています。
事件から1年ほどたって、
前川さんがタイホされたというニュースを見ました。
そのときは、やっと犯人が捕まったと思いました。
でも、福井のサイバンショでは無罪でした。
父は、「犯人なのに無罪になるなんて許せん」と言い、
ものすごく怒っていました。
それまで勤めていた会社では、
夕方5時きっかりに仕事が終わっていたのですが、
ムザイのニュースの後、父はその会社を辞めて、
やきんのあるタクシー運転手に転職しました。
夜、家で事件のニュースを見るのが
耐えられなかったのではないかと、私は思っていました。
父親はその後、カンコウヘンで亡くなりました。
お酒の飲みすぎが原因です。
前川さんはその後、金沢のさいばんしょでユウザイになりました。「ムザイだったのがユウザイとなった」というニュースを見て、
なんでこんなことになっているのか、と母にたずねました。
すると母は、「事件の話はもうしないで!思い出したくないから」と叫んで、それ以上、なにも教えてくれませんでした。
きっと、母は妹が殺されて、ひどいジョウタイになっていたのを
ちょくせつ見てしまったから、
事件のことを思い出したくないのだと思いました。
私も、ムザイになったりユウザイになったり、
サイシンカイシが出たり、取り消されたり、
サイバンショの言うことがころころ変わるのはどうしてだろうと、
気持ちがゆれました。
何十年ものあいだ、サイバンが終わらず、
ふあんていなジョウタイに置かれたのは、
とてもつらいものでした。
でも、事件の日に血の付いた前川さんを見た、と話していた人が、その日に見たというテレビ番組が放送されたのは、
じつは事件の1週間後だったというショウコが、
この前のサイシンで初めて出てきた、と聞きました。
サイバンショのはんだんがころころ変わったのは、
ケンサツがショウコをちゃんと出ていなかったからだというこいとが分かり、私は、前川さんを犯人にでっち上げた警察も、
前川さんが犯人じゃないしょうこがあるのに
かくしていたケンサツも、本当にひどいと思いました。
私たちは、今まで、ツミのない前川さんをうらんでいたんだと知って、とても苦しく、もうしわけない気持ちになりました。
最初からショウコが出ていれば、一番はじめの、
福井のサイバンショで、前川さんはムザイになって、
シンハンニンをつかまえることができたかもしれません。
ムジツの前川さんをギセイにして、
シンハンニンを探そうとしなかった警察、
ケンサツはぜったいに許せません。
そして、かくしていたショウコが、
せめてダイイチジのサイシンでちゃんと出ていれば、
2011年には前川さんがムザイになって、
このときにシンハンニンを探し出せたかもしれません。
このときであれば、
母もまだニンチショウになる前でしたから、
シンジツをリカイすることができたでしょう。
今はもう、父も亡くなり、母もニンチショウになって
シセツで暮らしているので、
この事件のことを話せる人間が私だけになってしまいました。
私は、前川さんがムザイになったことは
本当に良かったと思っています。
でも、妹が殺されたことを忘れないでほしいし、
事件のことを忘れないでほしい。
私がのぞむことは、もう二度と前川さんのように、
ムジツなのに長い間ハンニンあつかいされる人を出さないために、しょうこを全部出して、サイバンをやり直すと一度決まったら、
ケンサツがモンクをつけないで、
早くシンジツにたどりつくことです。
警察も、ケンサツも、ムジツの人ではなく、
シンハンニンをちゃんと探し出してショバツしてください。
サイシンになると、もともとのサイバンが終わったあとも、
ヒガイシャのプライバシーや、しせいかつが、
何度もニュースで出たりするから、
私たちを守るためにサイシンのルールを変えるのは
良くないという人がいると聞きました。
私はそうは思いません。
私だって、サイシンのニュースで妹のことを思い出してつらくなったり、自分の住所が知られたりするのはもちろんいやです。
でも、テレビ番組の放送日が1週間後だったというしょうこが
出ても、誰のプライバシーとも関係ないじゃないですか。
ちゃんと、しょうこを出してシンジツを明らかにすることの方がずっと大事です。
えん罪のヒガイシャと、犯罪のヒガイシャは、てきどうしなのではありません。前川さんと私は、二人とも同じヒガイシャなんです。
前川さんと初めてキッサテンで話したとき、
おたがいのことが分かりあえると思いました。
前川さんは、ムザイになってからも、色々言われて苦労しているようです。
私は心からおうえんしたいと思っています。
私はホウリツの難しいことはわかりません。
でも、ムジツの人をユウザイにしたままで、シンハンニンも探さずに、何十年も過ぎていくことを、「それでいい」と思う人は
いないでしょう。
それは、ヒガイシャやイゾクにとっても、耐えられないことです。
ショウコをちゃんと出して、すぐにやり直しの裁判をして、
前川さんのような人はすぐにムザイにして、
シンハンニンをちゃんと見つけてショバツする法律を
つくってください。
よろしくお願いします。
今日はほんとうにありがとうございました。
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