「子どもが熱を出した。授業参観がある。学校から呼ばれた。バカみたいに家庭事情で仕事に穴を開けてくる。もちろん大変なのは分かりますよ。でも、休んだ人の穴を埋めるのは私です。朝から夜まで厨房に立って、それでも人が足りなければ、妻まで呼び戻す。客には家庭の事情で料理が遅れますなんて通用しないでしょう」、、、これは町の小さな飲食店で、妙に重たい取材に立ち会った時の話である。店主は、油の染みた前掛けを締め直しながら言った。「人手不足なんです。でも、誰でもいいわけじゃない。毎回休まれたら店が回らないんですよ」記者が理由を尋ねると、店主の口から、働く親たちの事情が並べられた。
そこで店主は、外国人従業員を褒めた。
「外国人の子たちは休まない。休みの日でも、今日来られる?と聞けば来てくれる。一生懸命です。だから採用したくなるんです」
記者は少し考え、それから尋ねた。
「けれど、週に二、三回しか働けない人や、病気や障害があって仕事の速度が遅い人もいます。
そういう、もっと働きにくい人たちこそ、積極的に採用してはもらえませんか。
三年、四年と育てれば、少しずつ戦力になるはずです」
店主の手が止まった。
しばらく沈黙したのち、彼は笑わずに答えた。
「それは、私に死ねということですか?」
店の奥では、煮込み鍋がぐつぐつ鳴っていた。
その言葉だけを切り取れば、ずいぶん冷たい店主に見える。
あたしは、彼の目の下に溜まった疲労を見た。従業員が休めば店主が休めず、一人を育てる間にも家賃と電気代は待ってくれない。
一方で、子どもは熱を出す。障害は根性で消えない。心身の調子には波があり、誰もが週五日、同じ速さで働けるわけではない。
働きにくい人を使えないと追い出してしまえば、社会はその人の生活を別の場所で支えることになる。
ここで外国人を悪者にしてはならない。
休まず働く姿勢は立派である。
しかし、休みの日まで呼べば来てくれることを「よい外国人」の条件にするのも危ういのではないか?
断れない事情や、在留資格への不安につけ込んでいないかは、常に問われるべきである。
※個人が特定されないように内容をすごい改変してます。これあの時のこと?って思っても、絶対違うので、ご安心ください。
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