問題は、日本人か外国人かではない。子育て中の人、障害のある人、病気から戻る人を雇う費用と負担を、疲れ切った一軒の店に丸ごと背負わせている社会の仕組みである。政治は企業に「多様な人材を採用せよ」と言う。だが、人が休んだ日の代替要員も、育成に必要な時間も、失敗したときの損失も用意しない。それでは美しい理念の請求書だけを、町の店主に押しつけているようなものだ。必要なのは説教ではない。短時間勤務の人を複数の企業で支える仕組み、急な欠勤を補う地域単位の代替人材、仕事を細かく分ける専門家、育成期間の賃金補助、現場を支える指導員である。
三年、四年待てと言うなら、その三年、四年を店主が生き延びられる制度も同時に差し出さなければならない。
「働きにくい人も雇ってください」
その願いは正しい。
「それでは店が潰れる」
その悲鳴もまた、本物である。
正しさと悲鳴が衝突したとき、弱い者同士に譲り合いを命じるだけでは政治にならない。
働きにくい人を見捨てず、雇う側も潰さない。その間に橋を架けることこそ、社会の仕事である。
あたしに橋の設計はできない。例え、あたしが政治家や官僚であっても、できないだろう。
しかし、人を支えるために一人の店主を倒す社会も、店主を守るために働きにくい人を締め出す社会も、どちらも長くはもたぬことくらいは分かる。
誰かを雇うことが自己犠牲ではなく、未来への投資になる仕組みをつくらなければならない。
さもなくば、人手不足と叫ぶ町の中で、働きたい人と、雇いたい店とが、永遠にすれ違い続けるのである。
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