かつて作品とは、作者が完成させて観客へ渡すものだった。だがSNSでは、少しだけ足りない作品のほうが遠くへ届く。視聴者は欠けた部分を見つけ、自分の記憶や信仰や笑いを持ち込み、参加者になる。完璧な一覧は保存される。不完全な一覧は会話を生む。Jという一文字は、言語や国境を越える器にもなっている。ホラー映画、海賊映画、犯罪劇、カンフー、ゲーム、宗教まで、本来なら一緒に並ばない存在が、一つの頭文字によって同じ舞台へ呼び集められた。
もちろん、Jそのものに特別な力があるわけではない。英語圏にJで始まる名前が多く、有名な人物だけを集めた結果ともいえる。
それでも、人間は偶然の中に物語を見つける。
吾輩には、Jという文字が人間の人生に見えてならない。
上からまっすぐ落ちて、最後に曲がる。絶望へ向かっていたはずなのに、地面の直前で進む方向を変える。
ジェイソンの仮面も、ジャックの冗談も、ジョーカーの笑顔も、ジョン・ウィックの沈黙も、その曲がり角なのだろう。
強さとは、傷つかないことではない。
痛みを仮面に変える者がいる。
笑いに変える者がいる。
技に変える者がいる。
誰かを守る決意に変える者がいる。
取材の帰り、あたしは蓮に尋ねた。
「あなた自身のJは、誰なの?」
彼は少し黙ってから、パソコンの暗い画面に映る自分を指さした。
「まだ名前はありません。でも、いつか誰かの続きを作れる人になりたいです」
Jの魅力とは、強者の頭文字ではない。
傷を抱えたまま、それぞれの方法で立ち上がった者たちの印である。
そして完成していないからこそ、その列には、まだ誰かが入る場所が残されている。
もしかすると次の「J」は、有名人でも英雄でもない。
今日、自分なりの方法で絶望の底を曲がり、もう一度歩き始めた、名もなき誰かなのかもしれない。
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