あたしが取材した国語教師は、一枚の古いレポートを机にしまっていた。大学時代、彼は文章を書くことが苦手だった。三週間かけてレポートを書いたが、教授から返ってきたのは可と書かれた成績表だけだった。どこが悪かったのか。どこか一行でも良かったのか。それさえ分からず、彼は小説家になる夢を諦めた。卒業から二十年後、その教授が亡くなった。遺品整理をしていた家族から、返却されなかったレポートが届いた。
余白は赤い文字で埋め尽くされていた。
「この視点は面白い」
「君にしか書けない記憶だ」
「続きを読みたい」
最後には、こう記されていた。
「評価は可。しかし、才能は評価の外にある」
教授は添削を終えた直後に倒れ、返せないまま入院していたのだ。
教師になった彼は、それから生徒の作文を一枚残らず返すようになった。赤点の作文にも、必ず良かった箇所を一つ書いた。
定年の日、不登校だった教え子から手紙が届いた。
「先生が『続きを読みたい』と書いてくれたので、私は自分の人生にも続きがあると思えました」
あたしは思う。
人は低い評価だけで夢を諦めるのではない。
自分の努力を、誰も見ていなかったと思ったときに諦めるのだ。
添削とは、間違いを直すことではない。
あなたを読んだという証拠を返すことである。
※特定されないように、事実を大幅に変えてます。これあのことだよね?って言われても、人違いなのでご安心ください。
顯示更多