自分と他人の境界線、想像と現実の境界線が曖昧な人は増えたと思う。
自他境界の弱さ+不安の高さ+SNS環境の合わせ技だよね。
他人が幸せそうにしてるだけで、自分が否定されたように感じるんだよ。
✔︎ 他人が子供をたくさん産んだら、子供が少ない(産めない)自分を否定された。
✔︎ 専業主婦が幸せそうなら、働いてる自分を否定された。
✔︎ 結婚して幸せと言ったら、独身は不幸だと見下された。
とかね。
誰もあんたの話はしてない。
「私はこうです」「私は幸せです」と他人が自分の人生を語ってるだけなのに、自他境界が曖昧だと、それを自分への評価として受信する。
それに不安が強いと、現実に起きたことと、自分の頭の中で作った物語の境界線まで曖昧になる。
「返信が遅い」「予定が合わない」という事実から、
冷めたんだ。
嫌われたんだ。
他に女がいるんだ。
私は大切にされてないんだ。
と想像して、いつの間にか本人の中では全部事実になってたりする。
「奢ってくれる男が好き」という人がいれば、
女は男に金を出させて当然だと思ってる。
男をATM扱いしている。
男女平等と言いながら都合のいい時だけ女を出す。
こういう女は結婚しても男に寄生する。
と勝手に話を膨らませて、いつの間にか本人の中では、目の前の女が「男を金ヅル扱いする強欲な乞食」になってたりする。
昔なら生活圏に数十人しかいなかった比較対象が、今はSNSから何万人と流れてくるからね。
若い、美人、金持ち、子沢山、モテてる、愛されてる、仕事ができる、才能があるとか、記事としてフックになるような、突出した部分ばっかり毎日見せられるやん。
そこで「へー、いいね」「私は違うけど」で終われる人には大した問題じゃない。
他人が持ってるものは他人のものだし、他人が幸せなのも他人の人生で起きてることやん。
冷静に考えて、他人の株価が上がったとて、自分の株が希薄化したり損してるわけちゃうのにね。
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りくりゅうへの嫉妬もそうだけど、最近の人って「自分と他人の境界線」があやふやな人が多い気がする。
自分にはないものを持っている人もいる。
逆に自分が持っているものを持っていない人もいる。
それが当たり前なのに、他人の「自分にはないもの」を見たときに、ただ「へー、いいね」と素直に言える耐性がなさすぎる。
そして攻撃という愚かな行動で自分を安定させようとする。
他人の幸せや才能を自分の価値と比較しなくてもいいのに。
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