木村三蔵、小塚藤右衛門、富田与五郎、横山長隆、
皆はこの名を知っておるか?
いや、きっと誰も知らぬであろう。
この四人の武士は我が前田家の家臣、
賤ヶ岳の戦いにて討死した家臣じゃ。
儂・前田利家は賤ヶ岳の戦いにて柴田様を裏切り、秀吉方に寝返った。
と現世の皆が申すのをよく耳に致す。
そしてその裏切りによって柴田軍は敗れ、自らは加賀百万石に上り詰めたとな。
本年も大河『豊臣兄弟!』にて、儂が登場すると「熱いことを申してもこの後裏切る」などと申すものを数多みた。
故に今ここにはっきりと示そう、
その理解は誤っておると。
儂・前田利家は決して寝返ってなどおらぬのじゃ。
否、柴田様へ恩を返すことが叶わなかった。
これは紛うことなき事実である、故に柴田様を裏切ったと自戒しておる。
じゃが。現世で言われておるように柴田軍と羽柴軍の戦が始まった途端突然前田家が撤退し総崩れとなった、これは間違いである。
何故かような話が広まっておるのかはわからぬが、
我ら前田家は柴田様や佐久間盛政と同じく賤ヶ岳にて秀吉の軍と激しく戦い、
そして敗れたのじゃ。
始めに話した通り賤ヶ岳の戦で前田家は数多の重臣を失った。
木村三蔵と小塚藤右衛門は儂が幼き頃から苦楽を共にし、
我が生まれの地・荒子の精鋭として荒子七人衆に数えられておる。
信長様の大願を叶えるべく数多の戦に出陣し力を奮ってくれた。
富田与五郎と横山長隆は儂が越前に移ってからの家臣で北陸の事情に明るく、
能登一国の主となり家臣団の大幅な拡大が求められた前田家にとって、
なくてはならぬ存在であった。
皆も知る通り、儂は賤ヶ岳から敗走し府中城にて籠城をした後に秀吉に降伏しておる。
そしてその後の北ノ庄攻めにて柴田様はお市様と共に自刃なされた。
儂は大恩ある柴田様に報いることができなかった。
故に裏切り者の汚名も被るべき業かとも思うておるが、
賤ヶ岳で散った我が家臣達を思えば、賤ヶ岳での”寝返り”は認めることはできぬ。
恥ずかしくも現世にて「儂は裏切り者ではない」と喧伝し、
賤ヶ岳の戦い寝返りの誤解を解き、歴史の狭間に葬られた我が家臣の名誉ある死とその名を広めることが、
こうして現世に蘇った重要なる理由と意義であると、儂は心得ておる。
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