ルブルックのウィリアムはモンゴルのネストリウス派が十字架に磔刑のキリスト像を付けないことを「受難を疑っているか恥じているように見える」と批判した。
しかし、ネストリウス派の十字架は西方教会とは意味するものが異なり、キリストが苦しんだ「受難の十字架」ではなく、再臨(パルーシア)の象徴だった。受難は過去の一度きりの出来事として捉え、空の十字架は光のうちに再臨するキリストを表現していた。
また、ネストリウス派の二性説では、神性は苦しむことができないとされる。そのため受難の肉体的苦痛を直接視覚化することに慎重で、西方のように十字架上のキリスト像(corpus)を重視しなかった。教会内でも画像を用いず、装飾もプレーンなギリシャ十字を用いていた。
結論として、ルブルックのウィリアムの批判は西方教会と東方教会の十字架に対する態度に由来し、文化的差異への誤解によるものであったと考えられる。
顯示更多
ルブルックのウィリアムによる、モンゴルのネストリウス派批判。
・典礼をシリア語で唱えるが意味を理解していない
・酒飲みで高利貸し、秘跡に対し料金を請求する
・司祭が結婚し、妻が死ねば再婚する
・金曜日に肉を食べ、イスラム教徒のような清めをする
・十字架に磔刑像を付けない(受難を恥じているのではないか)
・シャーマンの儀式に参加する
・司教が50年に一度しか来ないため、幼児まで司祭に叙階してしまう
顯示更多